書評
『明治維新とイギリス商人―トマス・グラバーの生涯』(岩波書店)
正しいグラバーの姿がここにある
長崎のグラバー邸といえば知らない人もないと思う。修学旅行で見学すると、ガイド嬢から、「幕末の動乱期にここの屋根裏部屋に坂本竜馬がかくまわれていた」などと聞かされる。この家の主人であった英人トマス・グラバーについては、薩長陣営に大量の武器を売り幕府崩壊に功績があったとか、さまざまな話が伝えられているが、しかしそれらの話のほとんどはグラバー本人の後年の回想に基づいており、ちゃんとした資料によるものではなかった。なんせグラバーが活躍したのは明治維新前後の動乱の十年間だから、日本側に資料は残りづらいのである。しかしさいわい、グラバーのバックにいた大英帝国の総合商社ジャーディン・マセソン商会の大量の資料がケンブリッジ大学にそのまま保管されている。維新史ファンの私としては、誰かあれをひもといて正しいグラバー像を描いてくれないものかと頼っていたが、このたび満たされた。杉山伸也著の『明治維新とイギリス商人』(岩波新書)。
まず、生まれたところもこれまでの伝は間違いで、正しくはスコットランドの鰊(にしん)の漁師町フレイザーバラだという。また、薩長に武器を売り込んで幕府を倒したという彼の生涯のハイライトも正確ではなく、慶応元年には幕府に最新鋭のアームストロング砲三十五門と砲弾十万個強を売り込んでいる。ちなみに直後に長州に売り込んだアームストロング砲は十五門にすぎない。ところが、幕府用の三十五門が長崎に届いてグラバー商会の倉庫に納まったちょうどその時に徳川慶喜追討令が発せられ、受取人の長崎奉行が逃げ出してしまい、なんとグラバーはそれを薩長陣営に回してしまう。維新の戦争の折、幕府軍をさんざん苦しめたかのアームストロング砲の筒先は、本当なら薩長側に向けて火を吐いたはずだった。
著者は経済史家だけれども、これからも経済史にとどまらず人物や歴史一般にも経済史の光を当てていっていただきたい。
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