書評
『恋愛論』(作品社)
恋愛は、それを生きているときはどんな不思議もないひとつの体験だが、その本質を言い当てようとすると際立った謎として現れる(一〇頁)
その謎を、著者は全力で解きあかそうとする。
本書のあちこちで、ああこれは自分も思い当たるふしがあると感じる箇所に、読者はぶつかるだろう。すべての恋愛は似通った構造をもっているからだが、それ以上に著者が、そうした構造の深いところまで分け入っているからだ。
恋愛論は、自分の体験を賭けて語らなければ空しい。が、自分の体験をつきつめて客観化できなければ成功しない。著者は議論の素材に、ゲーテやスタンダールなど西欧近代の代表的な恋愛小説を選んだ。本書『恋愛論』はだから、「恋愛小説論」でもある。そのうえで著者は、恋愛のプロセスを支配する法則ないし仮説をいくつか提案する。恋人の美、プラトニズムとエロティシズムの融合、絶対感情、愛のルール、エロスの自己中心性、などがそこでのキータームだ。
著者はプラトン、フロイト、バタイユ、フーコーなどを踏まえ、オーソドックスな議論を展開する。
幼児はみな自己中心的だが、やがて挫折し、青年期の自己ロマン化の段階に進む。そうした困難な日常のただなかで、恋愛のエロティックなときめきは《「徹底的な自己中心性の可能性」への瞬間的な回帰の幻想》(一八六頁)をもたらす。こうした二人が出会うとき《自己中心性は不思議な仕方で脱臼され》(二〇三頁)、恋愛が成立する、と著者は言う。このくだりに私は、説得力を感じた。
最後に疑問も付け加えておく。著者の議論は十分普遍的だと思うが、素材に西欧のロマンティック・ラブを扱っている分、キリスト教文明でしか妥当しないロジックを追いかけている部分もあるように思う。日本社会での恋愛は、本書の分析とまったく同型なのか。日本の小説を素材にした続編を期待したい。
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