書評
『私の名前はルーシー・バートン』(早川書房)
時を経て取り出された記憶
田舎から出てきた母が、久しぶりに会った、しかも病身の娘に向かって、次々と誰かの結婚が破綻した話をする。うんざりしそうな内容なのに、気がつけば引き込まれていた。ピュリッツァー賞を受賞した『オリーヴ・キタリッジの生活』で知られる著者の最新作は、ひとりの女性が自らのストーリーを語る「声」を獲得するまでの軌跡を描く。語り手の「私」は、アメリカ中西部生まれ。11歳までガレージで暮らしていた。家にはテレビも本もなく、いつも空腹だった。長い歳月が流れ、現在ニューヨークに住んでいる彼女は、かつて9週間に及ぶ入院を余儀なくされたときのことを振り返る。幼い2人の子供と引き離されたこと、多忙な夫はなかなか病院に来られなかったこと、そして疎遠になっていた母とゆっくり話したこと……。病室という空間は閉ざされているからだろうか。ふだんだったら聞き流してしまいそうな言葉も、見逃してしまいそうな光景も、「私」のなかにくっきりと刻み込まれている。時を経て取り出された記憶は、また別の記憶を鮮やかによみがえらせていく。
貧しい家庭で生まれ育ったことは、「私」と兄姉の心に深い傷跡を残している。あまり多くの語彙を持たない母が、苦労させたことについて詫びる場面は切なかった。その後の「私」の反応も痛ましい。ただ、母が子供たちの悲しみがわからなかった悲しみを懸命に言葉にして伝えたことは、問題を解決できなくても、確実に「私」の世界の見方を変えるのだ。
自分は自分でしかなく、人生は一度しかないということを受け入れる終盤は清々しい。最後に「私」が思い出す風景の美しさに驚嘆する。
週刊金曜日 2017年6月30日
わたしたちにとって大事なことが報じられていないのではないか? そんな思いをもとに『週刊金曜日』は1993年に創刊されました。商業メディアに大きな影響を与えている広告収入に依存せず、定期購読が支えられている総合雑誌です。創刊当時から原発問題に斬り込むなど、大切な問題を伝えつづけています。(編集委員:雨宮処凛/石坂啓/宇都宮健児/落合恵子/佐高信/田中優子/中島岳志/本多勝一)
ALL REVIEWSをフォローする





































