書評
『幕末維新の漢詩: 志士たちの人生を読む』(筑摩書房)
漢詩に吐露された志士の真情
幕末志士のことを知りたい人が、このごろ増えてきているが、歴史学者としては、現状、志士の情報には大穴ともいうべき「欠損」があったことを打ち明けねばならぬ。志士のみならず、歴史人物は(1)日記(2)手紙(3)漢詩など詩文(4)作文(5)回想録を残す。これをもとに、(6)伝記(7)小説が書かれて、人物像が組み立てられる。(1)の日記は書く人も書かない人もいるから、あったり、なかったりだ。大久保利通のごとく、実務日記で味がないものから、木戸孝允(たかよし)(桂小五郎)のように日記に喜怒哀楽を刻み込んだものまである。(2)の手紙はみんなが書く。坂本龍馬が有名になったのは、彼が読んで面白い手紙を書き、それをもとに司馬遼太郎さんが名作小説を書き上げたからである。有名な志士はたいてい「全集」が編まれていて、(1)の日記から(5)の回想録まで、みな蒐(あつ)めて読めるようになっている。ところが、問題は(3)の漢詩など詩文である。江戸時代後期から幕末にかけては、日本中の庄屋・下級武士以上のエリート全体に教養主義が浸透した。だから、志士とよばれるほどの者は、みなといっていいほど、漢詩を作った。漢詩は手紙・和歌・俳句より雄弁だ。前近代の手紙は、時候の挨拶と社交辞令が半分ちかくにも及ぶ形式的なものが多い。また和歌や俳句は詩形が短く、多くは花鳥風月の朗詠にとどまる。うれしい、つらい、かなしいなどの、志士個人の体内からほとばしり出る真情は、漢詩にこそ吐露された。だから我々が、志士の人間臭さ、生きざまを直接に知りたければ、漢詩をみるのが、一番よい。
ところが、漢詩は難解で、平成のこの世になると、志士の漢詩を適切に解説してくれる書物が、なかなか現れなかった。志士研究は歴史学者の領分、難解な漢詩研究は文学研究者の縄張りだ。志士の歴史的位置づけができ、なおかつ漢詩を味わえるよう正確な解釈もできる学者は少ない。本書は、この空白をうめて、ようやく現れた一冊である。著者は、中国文学の研究者。これを読めば、漢詩を味わいながら、志士の真の姿に肉薄できる。取り上げられているのは、高杉晋作・久坂玄瑞(げんずい)・西郷隆盛・勝海舟・山田方谷(ほうこく)・横井小楠(しょうなん)・藤田東湖(とうこ)など幕末の志士や学者の20人である。漢詩を道具立てとして彼らの人物像を丸裸にしていく。平凡な歴史小説などでは目撃できない志士の姿に、読者は驚きを禁じ得ないであろう。
例えば、漢詩でもって、佐久間象山と吉田松陰の人物像を切断すれば、こうなる。佐久間象山はロシアのピョートル大帝を尊敬。大帝は「曽(かつ)て荷蘭(オランダ)に効(なら)いて学科を設(ひら)く」が「我が邦(くに)
空(むな)しく説く英雄の跡」で、「百載(ひゃくさい)人の泊多(ピーター)に似たるはなし」と嘆いた。学校で人材を育成し、技術と学科重視で、富国強兵をはかれと説いた。象山は吉田松陰に会ったとき、「之(こ)の子
霊骨有(あ)り」との感をもった。生まれつき秀麗な骨相で、なにかがこの青年に宿っていると悟った。二人は意気投合。日本の将来像をとっくり語ったが、二人はその思想で、ともに幕吏に囚(とら)われ、それぞれの故郷に護送されるところとなる。象山は信州へ、松陰は長州へ。松陰は囚人駕籠(かご)で東海道を下る途中、天竜川まできて、突如、怒声をあげた。天竜川の源は信州。象山が幽閉されている。松陰は二人をつなぐ天竜川の上流にむかい「唯(た)だ激怒の声を為(な)すのみ」。漢詩が映しだす歴史の実景はどんな史劇の映像よりもリアルで精細である。
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