選評
『楊家将』(PHP研究所)
吉川英治文学賞(第39回)
受賞作=北方謙三「楊家将(上・下)」/他の選考委員=五木寛之、伊藤桂一、杉本苑子、平岩弓枝、渡辺淳一/主催=吉川英治国民文化振興会/発表=「群像」二〇〇四年五月号さらに輝かしさをました文体
切れ味のいい、意味の明快な短い文をきびきびと積み上げて気持のよいリズムを刻み、そのリズムに読者を乗せて、いつの間にか途方もなく大きな物語の中へ誘い込んでしまうのが、北方謙三さんの文体の魅力である。『楊家将』では、その魅力がさらに輝きをまして、やすやすと読者を、中国十世紀末、建国間もないころの宋国へ連れて行くばかりか、その宋と遼との激しい攻防戦を、宋の楊一族の運命と重ねながら、清澄な文章で描き切った。楊一族が、武術にすぐれ戦術にも長けた遼の武将たちと(なかでも「白き狼」の知略はものすごい)どのように戦ったか、その決戦の数々を、映像でもむずかしいのに、よく文章で活写した。これはすさまじいまでの力業である。
合戦場面を描くのに、張扇の音が聞こえてくるような文章では、小説が講談になってしまう。講談が悪いのではない、これまで日本語では合戦場面を語る文体が講談式しかなかったのだ。だが、文体の工夫と革新によって、北方さんは小説で合戦を生き生きと描く。合戦で用いられる戦術の意味、その戦術にしたがって行動する両軍騎馬隊のすばやい動きが、この文体を通してじつによくわかる。戦いの野にたちこめる血の臭い、兵たちの気合い、馬たちの哀しみ、そして戦い終わったあとの原野に立ち込める人間たちの運命の旋律、じつは彼らはみな敗北者なのだが、それらを明確に読者の前に提示することに成功したのは、これはじつに北方さんが苦心した文体の勝利である。
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