書評
『文化戦争: やわらかいプロパガンダがあなたを支配する』(春秋社)
お尻のポケットの振動が破滅的なショーの開幕を告げる
ドナルド・トランプがアメリカ第45代大統領に決まったと知ったとき、私は仰天した。資質、知性、教養、その他、これほど劣悪な人物が、世界で並ぶところのない権力者になるなんて、いったいアメリカはどうなっているのだろう?東洋の島国の一人の老人が仰天したのだから、心あるアメリカ人は驚天動地だったにちがいない。落ち着きをとりもどしてから、なぜこうなったのかを考えた。関連本がワンサと出たと思うが、『文化戦争』(原題「武器としての文化」)はそのなかの優れた一つと思われる。論じ手はニューヨークのアーティスト集団のチーフ・キュレーター。メディア学者のようなもっともらしいワクづけをせず、自分の考えを友人、知人に提示して議論をかさねるなかで大きな変化を検証しようとした。それができるところに、アメリカ民主主義のふところ深さが見てとれる。
まさしくトランプ大統領誕生の「アメリカの朝」から始まって、歴史的に引きもどり、第一次大戦の際の大衆動員、熱狂を生み出す仕掛け、「文化としての武器」を徹底して活用したナチスの手法――そういえばキレ者ゲッベルスは「メディア・クリエーター」というものだ――、そしてテレビの登場である。もはや呼吸する空気とひとしいものになったテレビの特性と社会的影響力。このあたりはアメリカ固有のことがらだが、それだけ客観的に見られるという利点がある。
「恐れのからくり」の章あたりから、身近なあれこれとかかわってくる。熱狂を支える人々とプロパガンダの魔力を考えれば、「恐れ」の戦略は、どこの国でも有効だ。「都市をブランドにする」や「都市の文化戦争」には、議論の習慣のある国の人々の思考パターンといったものがうかがえて羨ましくなる。二つの目よりも四つの目がよく見るように、論じ手がふえる方が視点がひろがり、それ自体変化してやまない時代をとらえるものなのだ。
コンピューターはいつ、企業の本社に鎮座する名前もわからない大きな機械から、人々の身体の一部とまで言えるものになったのか?
「身体の一部」にちがいない。ヘッドフォンをつけ、アップル・デザインのiPodをにぎり、お尻のポケットのメッセンジャーが振動で注意を促している。そのとおりであって、いまやすべてが変わってしまった。
寸暇を惜しんでスマートフォンをチェックしている人は、それによって生じるつながりにがんじがらめにされている。ネットをあらためている人は、そこにいるようでいないのと同様だ。SNSは若い人の心の底にまで忍び込んでくる。古手の大人は笑うかもしれないが、若い感性にはオンライン上のつながりこそ本物であって、現実のつながりはその模倣にすぎない。
ドナルド・トランプの大躍進を促したものが、しだいしだいにあぶり出されていくだろう。公然とウソをついて、極端なうぬぼれ屋で、批判されると極度に攻撃的になる男。その権力者が愛用するツイッターの特性。いかにも「現在進行形の工学的努力が生んだ、最新の、もっとも威力のある道具」であって、結びの言葉が予言的にひびいてくる。ブザーが鳴って、破滅的なショーがすでに始まっている。
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