書評
『投書狂グレアム・グリーン』(晶文社)
投書のなかの孤独
物書きと呼ばれる人々は、日々の生活の資を、基本的に原稿料と印税でまかなっている。もっとも、印税で暮らしが成り立つのはほんの一部にすぎないから、多くはそのときどきの注文に応じた原稿料収入が命綱となる。これは洋の東西を問わない厳しい現実だ。だからプロの書き手がみずから進んで無報酬の原稿を、しかもまめに書くなどということは、宗教にもとづく慈善活動として、もしくはある種のダンディズムとして遂行するのでないかぎり困難だし、それにふさわしい媒体もない。
ところがひとつ、エアポケットのような場所がある。「投書欄」だ。誰に頼まれたわけでもない個人的な見解をまとめ、それを公にして議論や意見交換のきっかけをつくるための装置。すべての読者が潜在的な書き手となりうるばかりか、「紳士にもプロにも」開かれ、報酬が出ないかわりに好き放題の発言が許される公平な空間。わが国はどうあれ、英国の物書きにはかなりの投書好きが存在し、精神の自由を保証されたこの欄でさわやかな一言居士ぶりを披露するらしい。
たとえばグレアム・グリーン。元新聞記者だった経歴も手伝ってか、彼は毎日くまなく紙面に目を通し、記事の内容に少しでも不満や疑問点があれば、とりわけ酒が入っているときにはただちに一文を草して、あちこちの「投書欄」へ送った。半世紀近くにわたって書きためた手紙は、投函されなかったもの、また掲載されなかったものを含めると、優に二冊の本ができあがる分量だという。
本書はそれらを厳選した、作家グリーンの「投書集」だが、これが彼の小説世界の特徴とみごとに合致している。毒舌、ユーモア、悪ふざけ、コモンセンス、そしてそれを支える適度な偏見。異なる媒体に書き分けているため、国際政治にかかわる反米の立場が鮮明な発言や、バチカンをからかうような宗教がらみの話題が、小さな誤植や誤報の訂正要求と同列にならぶ。おまけに活字になったいくつかを、後年ちゃっかり自作に取り込んでいるのだから、一筋縄ではいかない。
これら大量の「投書」は、理想に殉じた「投壜通信」とはちがって、読者のいる海に投げ込まれた。すべてではないにせよ、確実に反応はある。それなのに、どこか孤独な影を拭いきれないところも、やはりグリーン風と言うべきだろうか。
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