書評
『ルーヴルの騎手 ルーヴル美術館を創った男ヴィヴァン・ドゥノンの生涯』(集英社)
反=緩やかさの試み
ヴィヴァン・ドゥノンの名を、あなたは御存じだろうか。一七四七年、ブルゴーニュ地方のシャロンに生まれたドゥノンは、一七六九年、二十二歳でパリに上京。ルイ十五世の宮廷に現われるやたちまち王付貴族となり、サンクト=ペテルブルクの大使館に勤務してエカテリーナ女帝に接近、スパイの逃亡幇助の罪でロシアを追放されたのちスイス各地をめぐってフェルネーに隠遁中のヴォルテールに会い、一七七七年に唯一の短篇――ジャンヌ・モローとアラン・キュニーが共演し、ブラームスの弦楽六重奏を印象的に使ったルイ・マルの映画『恋人たち』の原作となった――「明日はない」を発表、つづいてナポリ、シチリア、ヴェネチアと滞在し、ヴェネチアを追い出されてからはスイスに戻るのだが、財産没収の危機を回避するため、一七九三年、恐怖政治のただなかのパリに舞い戻ってロベスピエールと会見、みごとお抱え版画家となり、ジョゼフィーヌの知遇を得てナポレオンに接触するとエジプト遠征に同行、戦乱をものともせず数多くのデッサンを残し、帰国後は大部の旅行記をまとめ、一八〇四年には命を受けて壮大な美術館創設に奔走、ナポレオン失脚後は、なんとルイ十八世の側について身柄を保護され、一八二五年、ルーヴル宮の対岸にあった部屋で、収集した美術品に囲まれて息をひきとる……。
いくつもの体制を渡り歩き、公人として数多くの文書を残しているにもかかわらず、「回想録」のたぐいをいっさい書かなかったため、ドゥノンの私的な感情や振る舞いは、完壁に整った公式記録の背後で、ほぼ沈黙に包まれている。たくみに自分を消していたこの男の、謎めいた生涯を解き明かすというより、むしろ謎は謎のまま残して、ドゥノンの足跡を二十世紀末に生きるおのれの軌跡に重ね合わそうとした小説とも伝記ともつかない異色の肖像の試みが、フィリップ・ソレルスによってもたらされた。
ソレルスがドゥノンの名を口にしたのは、じつはこれがはじめてではない。いっさいの政治的、宗教的な権力にあらがう無信仰の自由人「リベルタン」を輩出した歴史上まれな一時期に肩入れするソレルスにとって、ヴィヴァン・ドゥノンはサド侯爵とならぶ、何物にも拘束されない自由な思考の模範だった。みずからが信じて疑わない「趣味」を正面に掲げ、欲望を純粋に表現しようとしたリベルタンたちは、表現形式のひとつとして「小説」を選択していたのだが、文学と諸芸術をむすぶこの「趣味」を、たんなる知的遊戯に終わらせまいとする魂の「戦い」こそ、作家フィリップ・ソレルスが半生をかけて実践してきた思想なのである。一九九四年に刊行された評論集に、ソレルスはいみじくも『趣味の戦争』という表題を冠し、ドゥノンの作品を収める『十八世紀小説集』に触れて自由奔放な作品群の魅力を語りながら、彼らの戦いを、二十世紀末の現在へと強く引き戻そうとしていた。いわく、「小説の危機」などありはしない、危機に見舞われているのは「生きることの自由」にほかならず、小説の退潮はこの自由の剥奪にかかわっているのだと。
そんなふうに公言していた以上、ドゥノンの生涯をたどるにあたっては、単調な年代記や、ありきたりな「人と作品」に陥る愚だけは回避しなければならなかった。また、変幻自在に世を渡ってなお卑屈さからは遠く、最後まで精神の自由を保ちつづけた人物を描き尽くすには、ときに自己同一化する危険を冒して内側から観察し、同時にその視点が固定されないよう、すばやく身をかわす《速度》に満ちた文体の創出が必要不可欠となる。ソレルスはドゥノンその人の文章をふんだんに引用しつつ、本筋とはあまり関係のない女性哲学者の友人との対話をまじえて、異性の匂いの少ないドゥノンの人生に艶やかな彩りを添えたり、小説やエッセイの文体に訴えて歴史家の記述に茶々を入れたりしながら、ポリフォニックな空間を現出させることに成功した。
ところでソレルスには、ドゥノンを主題とせざるをえない、べつの動機があった。「ひとつの宝石」とまで言い切った佳品「明日はない」を、盟友であるミラン・クンデラがすでに『緩やかさ』(集英社)の中心紋として採用してしまったからである。チェコ語からの翻訳という軛(くびき)を脱して、最初からフランス語で書いたはじめての創作の主調音がほかならぬドゥノンの小説だったことは、ソレルスの視点と比較するとき、かなり重い意味を担ってくる。「速度」の快楽に身を委ねる現代にあって「緩やかさ」の復権は可能かと問いかけるクンデラに対し、ソレルスは、「速度はわれわれに緩慢さを教え」、「非常に迅速な精神だけが緩慢さを味得することができる」と、自身の立場を明確に打ち出しているのだ。
フランス現代小説を牽引しつづけてきた作家にとって、ドゥノンの世界は「緩やかさ」の顕揚に供される作品などではなく、「速度の過剰でもあり極度の静けさでもあるような本」だった。その意味で『ルーヴルの騎手』は、これら両極を融合した最高度の達成なのであり、ドゥノンとソレルスの精神の運動が時代を超えて完全に一致していることを示す、幸福な証言なのである。
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