書評
『名もなき孤児たちの墓』(文藝春秋)
というわけで、第一三五回芥川賞はこれまで三回連続して候補になっていた伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」に決定いたしました。別にこの結果に不満はございません。そんなにも文春はたかみーにやりたかったのね。そう思っただけ。直木賞作家の妻・角田光代と芥川賞作家の夫・たかみー(トヨザキ註=それも今は昔。現在はお二人ともそれぞれ再婚しておられます)。夫婦で両賞制覇。快挙。いずれ『冷静と情熱のあいだ』みたいな小説を共作。ベストセラー。けっ。そう思っただけ。不審なのは、同時候補に挙がっていた中原昌也の「点滅……」に、誰も何の印もつけなかったことでありましょう。そりゃ、中原作品群の中に置いたら最良じゃありませんよ。でも、他の候補作の中に置いた時、何の印もつけてもらえないような作品でしょうか。そうではありますまい。漏れ聞くところによれば、選考会ではこの中原作品と鹿島田真希の「ナンバーワン・コンストラクション」が真っ先にほとんど何の議論もないまま落とされたのだとか。つまり、単純な読解を拒む作品から排除したということですね。
よーよー、芥川賞さんよ。文字が読めるヤツなら誰でも読めてわかって、なにがしかの感想が抱ける、そんなたやすい作品しか評価できないような賞なら、純文学の新人に与えられる最高の賞を名乗るのなんかやめちめーよ。すんごい失礼なこと書くけど、伊藤たかみの受賞作はエンタメ路線にありながら角田光代の直木賞受賞作よりもレベルが低い代物じゃん。んなもんにあげる賞で、よいの?
「わかるよねっ、この感覚」と必死で読み手の共感を募る伊藤たかみ作品とは正反対、中原昌也の「点滅……」は読者に感情移入させまじの決意で書かれた作品です。ステージは設置されているものの、誰もいないデパートの屋上でとまどってみせる〈俺〉。田辺次郎ショーを見にきたのにその急死を告げられて、衝撃を受けてみせる〈俺〉。どうやら田辺さんは長らく会っていない古い知人のようで、〈俺がかつて出会った人たちの中でも数少ない本当に愉快な人〉らしいのだし、「思い出に残るあの人」という週刊誌の特集の取材を受ける〈俺〉が田辺さんの人となりを話すシーンすらその後に設けているのに、作者は田辺さんの魅力を一向に明らかにしません。取材を受けている喫茶店をチンチンしながらのぞきこんでいる大きな白い犬に「梵天丸!」という声で反応させておきながら、実はそれは犬の名ではなく〈ここの役所の人間が使っている暗号みたいなもの〉だとかいった、脱力を伴うわけのわからないエピソードが、本筋を邪魔するよう多々挿入されるこの作品は、いわば全体が異化。見慣れた世界や慣習からその日常性を剝ぎ取り、事物に新たな光を与える異化そのものといっていい小説なのです。
「点滅……」が収録されている傑作短篇集『名もなき孤児たちの墓』の表題作にこんな文章があります。〈もし自分が本当に書きたいと思える小説を、才能という限界を超えて書けるのだとしたら、僕なら迷わず「誰の欲望も満たすことの絶対にない」小説を書いてみたいと思う〉〈何の目的もなく垂れ流される孤児のような言葉たちに、僕がしてやれる唯一の優しさは、彼らの持っている意味を、可能な限り軽くしてやることだけだ〉
中原昌也くらい、今この時代に小説を書く・読むことの意味を突き詰めて考えている作家は少ないのです。“全身小説家”とは彼のことを指すべきなのです。〈孤児のような言葉たち〉の意味を可能な限り軽くしてやることで、小説という芸術ジャンルにギロチンのように思いやり深い死刑を執行している「点滅……」を、簡単にスルーした芥川賞に幻滅。陰々滅々。撃滅。壊滅。死滅。逝ってよし!
【この書評が収録されている書籍】
よーよー、芥川賞さんよ。文字が読めるヤツなら誰でも読めてわかって、なにがしかの感想が抱ける、そんなたやすい作品しか評価できないような賞なら、純文学の新人に与えられる最高の賞を名乗るのなんかやめちめーよ。すんごい失礼なこと書くけど、伊藤たかみの受賞作はエンタメ路線にありながら角田光代の直木賞受賞作よりもレベルが低い代物じゃん。んなもんにあげる賞で、よいの?
「わかるよねっ、この感覚」と必死で読み手の共感を募る伊藤たかみ作品とは正反対、中原昌也の「点滅……」は読者に感情移入させまじの決意で書かれた作品です。ステージは設置されているものの、誰もいないデパートの屋上でとまどってみせる〈俺〉。田辺次郎ショーを見にきたのにその急死を告げられて、衝撃を受けてみせる〈俺〉。どうやら田辺さんは長らく会っていない古い知人のようで、〈俺がかつて出会った人たちの中でも数少ない本当に愉快な人〉らしいのだし、「思い出に残るあの人」という週刊誌の特集の取材を受ける〈俺〉が田辺さんの人となりを話すシーンすらその後に設けているのに、作者は田辺さんの魅力を一向に明らかにしません。取材を受けている喫茶店をチンチンしながらのぞきこんでいる大きな白い犬に「梵天丸!」という声で反応させておきながら、実はそれは犬の名ではなく〈ここの役所の人間が使っている暗号みたいなもの〉だとかいった、脱力を伴うわけのわからないエピソードが、本筋を邪魔するよう多々挿入されるこの作品は、いわば全体が異化。見慣れた世界や慣習からその日常性を剝ぎ取り、事物に新たな光を与える異化そのものといっていい小説なのです。
「点滅……」が収録されている傑作短篇集『名もなき孤児たちの墓』の表題作にこんな文章があります。〈もし自分が本当に書きたいと思える小説を、才能という限界を超えて書けるのだとしたら、僕なら迷わず「誰の欲望も満たすことの絶対にない」小説を書いてみたいと思う〉〈何の目的もなく垂れ流される孤児のような言葉たちに、僕がしてやれる唯一の優しさは、彼らの持っている意味を、可能な限り軽くしてやることだけだ〉
中原昌也くらい、今この時代に小説を書く・読むことの意味を突き詰めて考えている作家は少ないのです。“全身小説家”とは彼のことを指すべきなのです。〈孤児のような言葉たち〉の意味を可能な限り軽くしてやることで、小説という芸術ジャンルにギロチンのように思いやり深い死刑を執行している「点滅……」を、簡単にスルーした芥川賞に幻滅。陰々滅々。撃滅。壊滅。死滅。逝ってよし!
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