書評
『パリジャン』(河出書房新社)
愛すべき「新種」への義憤
花の都の現在を分析し、その悪弊を摘出していく毒舌の多くは、熱烈なパリ讃歌と表裏をなしている。パリを批判するパリジャンに、心底この都市を嫌う者のいたためしはない。本書もまた、パリジャンでなければ理解不可能な事象をひたすら論じるという伝統ある韜晦(とうかい)に与(くみ)しているのだが、著者アラン・シフルは、話し言葉と造語をふんだんに採り入れた、辛辣でユーモラスで活きのいい文体と、独断に陥ることも辞さない私憤をもって、従来のパリ論にありがちだった内輪談義の閉塞を、みごとに打ち破ってくれた。
左寄りのインテリ層に人気のあるフランスの週刊誌「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」等で活躍するシフルは、言うまでもなく生粋のパリジャンである。その彼が分析の対象に選んだのは、パリをめぐる文章でながらく主役の座についていた、貴族階級や正真正銘のブルジョワ、そして誰が見てもそうと認めざるを得ない無産者階級の人々ではなく、そのあいだに入り込んだ「新種のパリジャン」である。二十世紀のパリに君臨しているのは、この新しい種族なのらしい。
高学歴で高所得、庶民的な地区にモダンな造りのアパルトマンを買い、地位が安定してから子供を作ればたちまち教育パパ・ママとなり、移民や低所得層が集まってゲットーと化した郊外文化を顕揚しつつそこに住むことだけは拒み、会話の端々に著名人との交遊をちらつかせ、守らない約束を交わす。「田舎者の精神構造が軽薄に変身した」分裂気味の傾向。その最たる症例がジャック・シラクだとの説は、まことに愉快である。
都会の高慢と田舎の親しみやすさの双方に引き裂かれて身動きのとれない「新種のパリジャン」の愛すべき野暮ったさ。そこに目を付けたシフルの感性は、もはや私憤の域を超えて、スタンダードな《義憤》となりえている。
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