書評
『四谷シモン前編』(学習研究社)
人形作りに魂捧げた履歴書
四谷シモンを初めて見た舞台は唐十郎の『愛の乞食(こじき)』だった。芳紀26歳の女形シモンのために唐は現行の戯曲にはない冒頭の長ゼリフを書き加え、「蓮(はす)の乱れる不忍池で……」のシモンの名調子に高校生の僕と友人たちは文字通りノックアウトされた。だからシモンがまもなく状況劇場をやめた時、僕らの目の前は真っ暗になった。涙なくしては読めない唐への別れの言葉も本書には収められている。シモンが状況劇場をやめたのは、人形作りに打ちこむためだった。そのすさまじい情熱がこの本の至るところから妖(あや)しい地熱のように噴きだしてくる。これは人形にとりつかれ、人形に魂を捧(ささ)げた人間の裸の履歴書だ。一見、書かれ方は柔らかい。人形作りのテクニック、唐や澁澤龍彦や土方巽との微笑(ほほえ)ましい交遊録、対談、10ページをこえる長い年表。どこから読んでも楽しい。だが、時々こんな言葉にぶつかって襟を正す。
人形は魂の容(い)れ物。魂を容れるのはそれを見ている人。そして容れ物はどこまでも精緻(せいち)で美しくあるのが理想だ。
人間のさかしらな知恵や感情をもたない、純粋で空虚な容れ物としての芸術。僕はこの美しい言葉を一生忘れまいと思う。
朝日新聞 2007年2月18日
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