書評
『生命式』(河出書房新社)
多数派の「ふつう教」信仰をゆるがす
たとえば、「学校を卒業したら、就職して、結婚して、子どもをつくるのがふつうでしょ?」といった「ふつう」への信心を村田は一つ一つ丹念に疑い、「ふつう教」という多数派の信仰をゆるがしてきた。『殺人出産』では、少子化対策として生殖を恐るべき方法でコントロールする国家が描かれ、『消滅世界』では、恋愛、結婚、セックス、家制度、ジェンダーといった概念が次々と消滅していく近未来が描かれた。『コンビニ人間』では、「常識」の同調圧力の狂気に抵抗するため、コンビニと一体化する女性が登場し、英語をはじめ多国語に翻訳されて、世界の読者を熱狂させている。
何が正常で、何が異常なのか?
こんな名言の数々がある。「特定の正義に洗脳されることは、狂気ですよ」(『殺人出産』)。「その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに」(『消滅世界』)「この世で唯一の、許される発狂を正常と呼ぶんだ」(『生命式』)。
十二編から成る『生命式』表題作の冒頭から引いてみよう。女性社員たちが定年退職した男性の急逝について話している。
「まだ若いのにね」/「ほんとよね。それって、いつだったの?」/「<中略>今夜、式をやるからなるべく皆に来てほしいって、故人もそれを願っていたからって」「そっかあ。じゃあ、今日はお昼、控えめにしとこう。<中略>」/「中尾さん、美味しいかなあ」
最後の台詞に至るまでは、じつにありきたりの会話である。そこにぽつんと「美味しいかなあ」と入ることで、突然、それまでのコンテクストが激変する。それが「ふつうの」日常会話として発話される衝撃。この涼しい顔での“文脈ずらし”は作者の妙技である。
「生命式」の日本では少子化対策として、人が死んだら葬式ではなく生命式を行うのが主流になっているのだ。そこで故人の肉からパワーをもらった男女が、辺りの道ばたで性交をすると、受精率が高いとされる。いまや性交は繁殖のために行うもの。それ以外は快楽目的の下劣な行為と見られている。生まれた子は環境万全の「センター」に預けられ、国ぐるみで育てられることも多い。
しかし主人公の「真保」は釈然としない。ほんの三十年前には、人食は極度の禁忌とされ、みんな熾烈(しれつ)な「正しさ」で糾弾していたではないか。これに対して同僚の返す言葉が、村田文学の精髄を表しているだろう。「世界はさ、鮮やかな蜃気楼なんだよ」「今の世界は、一瞬の色彩なんだよ」。色即是空というべきか。作者は何が正しいという「メッセージ」を掲げず、マジョリティの頑迷な思いこみの危険性を浮彫りにする。
「素敵な素材」では、人が死んだらその遺骸を衣類や家具にして再利用するのが常識であり、使わない方が「残酷」と言われる。痛快な「素晴らしい食卓」では、未来型の人工食品と芋虫の佃煮と「魔界都市」の料理がならぶ。女性ふたりが築く家庭があれば、少女に飼われる企業のお偉いさんもいる。
最終篇「孵化」では、ある特性のない女が次々と仮面をかぶって人気者になり、空洞化する。空疎な“キャラ”が拡散されるウェブ社会への批評にも読めるし、「嘘は共謀」(騙される側の欲求につけこんで騙す)であることも再認識した。メルヴィルの『信用詐欺師』を思わせる名作であり、作者の新境地だ。
村田沙耶香は昨年、『コンビニ人間』が米国『ザ・ニューヨーカー』誌のベストブックスの一冊に選ばれている。今後も、世界の常識をグローバルに覆してほしい。
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