解説
『九段坂から―棒ふりはかなりキケンな商売』(朝日新聞)
「難病モノ」というジャンルがあるとしたら、『九段坂から』は、まったく新しいタイプの本で、「難病モノ」の歴史に残る傑作だと思う。
難しい病にかかった主人公が、生と死のあいだで一生懸命生きる姿というのは、人の胸を打つ。小説やドキュメンタリー、あるいは手記といった形で、この主題は繰り返し書かれてきた。
私自身、何冊もそういう本を読んだし、そのたびに感動して、涙で顔がぐじゃぐじゃになるくらい泣いてしまった。
よく映像の世界では「動物と子どもにはかなわない」という言い方をする。動物と子どもの力というのは、どんなに達者な役者をも凌いでしまう。だから逆に、動物と子どもで人をひきつけるのは、ある意味で「ずるい」のだ。
活字の世界では、どうだろうか。これは私の独断だけれど「難病と戦争にはかなわない」という気がする。事実の重みの前に、ときに人は、やすやすと涙を流すだろう。
『九段坂から』のユニークなところは、はじめから、そういう涙を狙っていない、という点にある。もっと言えば著者は、そんな涙なんてまっぴらごめん、と思っているのではないだろうか。
世界的な指揮者が、その職業ゆえに首の骨の難病にかかり、大手術と苦しいリハビリのすえ、見事に復帰する――と、ストーリーを書けば、これはもう難病モノの王道をいくしかない、と思われる。
が、おそらく本書を読んで、涙する人はいないだろう。私など、あろうことか何度かプッと吹き出してしまった。それぐらい、暗さや湿っぽさとは無縁の本なのだ。
だから、感動する。こんなに大変な運命を背負ってしまった著者が、こんなに力強く、こんなに心豊かに、しかもユーモアを忘れずに生きているということ。病というマイナスポイントが、何倍ものプラスに変えられていくのだ。
私が、この本と出会うまでには、ちょっとしたいきさつがある。本文でも触れられているように、一九八七年の秋、著者である岩城さんと、対談でお目にかかった。初めての歌集『サラダ記念日』を出版したのが、その年の五月。
「六月に入院している時に、親しい編集者が届けてくれたんですが、すっかり気に入って、愛読しています」とのこと。その対談では、私の短歌に作曲家の林光さんが曲をつけ、その演奏会の指揮を岩城さんがする――という楽しい夢の実現を誓いあった。
それは、大手術のあとの、記念すべき復帰第一回の音楽会となった。指揮者としての雄姿を、私は初めて拝見した。
対談のときには、不慣れな私を快活にリードしてくださり、復帰の舞台では堂々たるスターである。
「なんか大変な手術とかって聞いていたけど、成功されたんやなあ。よかった、よかった」――その間の道のりを何も知らずに私は、ぱちぱちと暢気な拍手を続けていた。
それから数カ月後、岩城さんから送られてきたのが『九段坂から』である。初めてお会いしたときと、二度目にお会いしたときとの間に流れていた時間。すっぽり抜け落ちていた時間が、そこにはぎっしり詰まっていた。
『サラダ記念日』が届けられたときの入院っていうのは、この検査のためだったんだわ。
うわっ、痛そう。届けてくれた編集者は、きっと後書きに出てくる川口優香里さんに違いない。そうか演奏会のときのブラックジャックみたいな衣装は、こういう意味があったんだ。へーっ、岩城さんて昔は太ってらしたのか。……読者としては、かなり特殊な、個人的な興味にひかれての読み方である。振り返ってみると、当時はこの本の魅力を、半分もわかっていなかったのではないだろうか。この小文を書くにあたって、久しぶりに読みかえし、強くそう思った。
とにかく、エッセイとしておもしろいのだ。病気と絡めながら(病気のことは、化学の実験のように淡々と語られる。べたべたした感情がないぶん、恐ろしさがストレートに伝わってくる)、病院のこと、交通事故のこと、指揮者という仕事のこと、音楽、さらには学校生活のことまで。全体の構成も、非常に自然で巧みだ。気がつくと読者は、好奇心が旺盛で率直にものを言う著者の、良質のエッセイを楽しんでいる。にじみでるユーモアも、大きな魅力のひとつだろう。
たとえば、病名から症状を想像し、絶望的な気分になったところで「ああ、オレは、ついに化石になったのか」……。手術後のガスの匂いをそっと嗅ぎ、ウィーンの郊外のブドウ畑を思い出したりもする。痔の出血を三原山の爆発にたとえたかと思うと、「住民全員避難みたいな超大爆発」なんて事態が起こる。
そして涙腺を刺激しそうな話は、あくまでさらっとさりげなく。
手術後、「お腹がすいています」「へこへこです」と言う著者に、お医者さんがスポイトで一滴のオレンジジュースをプレゼントしてくれるところなど、私の大好きな場面だ。
岩城さんはお見舞いに『サラダ記念日』を届けてもらったそうだけれど、考えてみれば『九段坂から』は、お見舞いに最適の一冊だ(二冊目には『サラダ記念日』も悪くないです)。
もちろん、めったに風邪もひかなくて、海外に行ってもおなかをこわしたりせず、交通事故や病気とはまったく無縁で、一度も入院をしたことがない人でも、充分楽しめることは、うけあい。――だって、実は私がそうなんです。
【この解説が収録されている書籍】
難しい病にかかった主人公が、生と死のあいだで一生懸命生きる姿というのは、人の胸を打つ。小説やドキュメンタリー、あるいは手記といった形で、この主題は繰り返し書かれてきた。
私自身、何冊もそういう本を読んだし、そのたびに感動して、涙で顔がぐじゃぐじゃになるくらい泣いてしまった。
よく映像の世界では「動物と子どもにはかなわない」という言い方をする。動物と子どもの力というのは、どんなに達者な役者をも凌いでしまう。だから逆に、動物と子どもで人をひきつけるのは、ある意味で「ずるい」のだ。
活字の世界では、どうだろうか。これは私の独断だけれど「難病と戦争にはかなわない」という気がする。事実の重みの前に、ときに人は、やすやすと涙を流すだろう。
『九段坂から』のユニークなところは、はじめから、そういう涙を狙っていない、という点にある。もっと言えば著者は、そんな涙なんてまっぴらごめん、と思っているのではないだろうか。
世界的な指揮者が、その職業ゆえに首の骨の難病にかかり、大手術と苦しいリハビリのすえ、見事に復帰する――と、ストーリーを書けば、これはもう難病モノの王道をいくしかない、と思われる。
が、おそらく本書を読んで、涙する人はいないだろう。私など、あろうことか何度かプッと吹き出してしまった。それぐらい、暗さや湿っぽさとは無縁の本なのだ。
だから、感動する。こんなに大変な運命を背負ってしまった著者が、こんなに力強く、こんなに心豊かに、しかもユーモアを忘れずに生きているということ。病というマイナスポイントが、何倍ものプラスに変えられていくのだ。
私が、この本と出会うまでには、ちょっとしたいきさつがある。本文でも触れられているように、一九八七年の秋、著者である岩城さんと、対談でお目にかかった。初めての歌集『サラダ記念日』を出版したのが、その年の五月。
「六月に入院している時に、親しい編集者が届けてくれたんですが、すっかり気に入って、愛読しています」とのこと。その対談では、私の短歌に作曲家の林光さんが曲をつけ、その演奏会の指揮を岩城さんがする――という楽しい夢の実現を誓いあった。
それは、大手術のあとの、記念すべき復帰第一回の音楽会となった。指揮者としての雄姿を、私は初めて拝見した。
対談のときには、不慣れな私を快活にリードしてくださり、復帰の舞台では堂々たるスターである。
「なんか大変な手術とかって聞いていたけど、成功されたんやなあ。よかった、よかった」――その間の道のりを何も知らずに私は、ぱちぱちと暢気な拍手を続けていた。
それから数カ月後、岩城さんから送られてきたのが『九段坂から』である。初めてお会いしたときと、二度目にお会いしたときとの間に流れていた時間。すっぽり抜け落ちていた時間が、そこにはぎっしり詰まっていた。
『サラダ記念日』が届けられたときの入院っていうのは、この検査のためだったんだわ。
うわっ、痛そう。届けてくれた編集者は、きっと後書きに出てくる川口優香里さんに違いない。そうか演奏会のときのブラックジャックみたいな衣装は、こういう意味があったんだ。へーっ、岩城さんて昔は太ってらしたのか。……読者としては、かなり特殊な、個人的な興味にひかれての読み方である。振り返ってみると、当時はこの本の魅力を、半分もわかっていなかったのではないだろうか。この小文を書くにあたって、久しぶりに読みかえし、強くそう思った。
とにかく、エッセイとしておもしろいのだ。病気と絡めながら(病気のことは、化学の実験のように淡々と語られる。べたべたした感情がないぶん、恐ろしさがストレートに伝わってくる)、病院のこと、交通事故のこと、指揮者という仕事のこと、音楽、さらには学校生活のことまで。全体の構成も、非常に自然で巧みだ。気がつくと読者は、好奇心が旺盛で率直にものを言う著者の、良質のエッセイを楽しんでいる。にじみでるユーモアも、大きな魅力のひとつだろう。
たとえば、病名から症状を想像し、絶望的な気分になったところで「ああ、オレは、ついに化石になったのか」……。手術後のガスの匂いをそっと嗅ぎ、ウィーンの郊外のブドウ畑を思い出したりもする。痔の出血を三原山の爆発にたとえたかと思うと、「住民全員避難みたいな超大爆発」なんて事態が起こる。
そして涙腺を刺激しそうな話は、あくまでさらっとさりげなく。
手術後、「お腹がすいています」「へこへこです」と言う著者に、お医者さんがスポイトで一滴のオレンジジュースをプレゼントしてくれるところなど、私の大好きな場面だ。
岩城さんはお見舞いに『サラダ記念日』を届けてもらったそうだけれど、考えてみれば『九段坂から』は、お見舞いに最適の一冊だ(二冊目には『サラダ記念日』も悪くないです)。
もちろん、めったに風邪もひかなくて、海外に行ってもおなかをこわしたりせず、交通事故や病気とはまったく無縁で、一度も入院をしたことがない人でも、充分楽しめることは、うけあい。――だって、実は私がそうなんです。
【この解説が収録されている書籍】
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