前書き
『東大2021 東大/主義: 現役東大生がつくる東大受験本』(東京大学出版会)
東京大学新聞社から毎年刊行されている『現役東大生がつくる東大受験本2021』の今年のテーマは「東大/主義」です。例年、本シリーズは高校生を中心に好評を博していますが、じつは単なる受験情報だけではない、社会と学問と大学をめぐる魅力的なコンテンツが詰まっているのです。今回は、特別に本書を企画・制作した編集長(東大法学部3年生)による巻頭言を掲載いたします。
本書は主に東大を志望する中高生のために書かれたものですが、単なる受験対策本に尽きるものでは全くありません。もちろん、勉強法アドバイスや合格体験記といった受験対策関連のコンテンツは充実していますが、それ以上に本書には、東大の〈今〉を伝える仕掛けが多く隠されています。さまざまなルール、価値観、制度などが問い直されているこの転換期の時代において、東大の強みや在り方とはどういうものかということを学生視点で彫琢する。これが本書の最たる目的なのです。副題を「危機の時代に、東大の真価を問う」としたのは、まさにそのような意図に由来します。
東大の真価を問うに当たって指針となるのが、タイトルの「東大主義」です。我々は、東大を東大たらしめているものや、東大の研究・教育上の核心的な価値のことを「東大主義」と呼ぶことにしました。しかし「東大主義」とはそもそも何なのでしょうか。
○○とは何かという問いを探究しようというとき、伝統的な方法としては以下の二つがあります。一つは、○○という概念を、経験から独立した理性の能力のみを通じて分析していく方法で、これは古代ギリシャの哲学者プラトンが用いた方法です。もう一つは、○○について当時の高名な人々が持つさまざまな見解を集めて吟味するというもので、これはプラトンの弟子アリストテレスが主に好んだ方法です。本書が「東大主義」とは何かを考えるのに当たって採用したのは後者です。
本書の第3章と第4章の間に位置する特集「東大主義とは何か」では、さまざまな東大関係者が考える「東大主義」の内実を紹介しています。学生からは卒業生総代が2名と総長賞受賞者が2名、教員からは広報室長と東京大学出版会理事長の2名と、実に多様な取材対象から多様な答えを聞き出すことができました。
さらに、政治家、研究者、医師、作家といった東大出身で活躍されている著名な方々に取材をしたロングインタビューにおいても「東大主義」に関する問いが追求されています。ここでぜひ注目していただきたいのは、各インタビュイーが考える「東大主義」は、それぞれの生まれ育ち、興味関心、問題意識といったものを色濃く反映し、故にどれ一つとして同じものがないということです。
「東大主義」という語は、堅苦しく権威主義的に聞こえるかもしれません。あるいは「東大至上主義」という言葉があるように、ともすれば傲慢なニュアンスに捉えられてしまうかもしれません。しかし本書が追い求めているのは、そのような階層的で同質的な考え方では決してなく、むしろ自らがはらむ差異性を積極的に拡大させ、自由に多方向へと発展させていく契機としての「東大主義」です。
表紙を見てください。「東大主義」という漢字4文字が、それぞれ全く異なるフォントで書かれていることに気付いたでしょうか。すでに述べた通り、各人の「東大主義」に対する考え方は実に多様ですが、それは東大で学んできた人たちの生き方が多様だからであり、このことは東京大学憲章の「東京大学は、構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識」するという文言にも反映されています。
「東大」と「主義」の間にスラッシュ(/)を入れたのもこのことを示すためです。常に結合しそうで決して結合し得ない二つの言葉を内包した「東大主義」は、そもそも一つの概念ではありません。放っておけばバラバラになってしまうところを、東大に関わるさまざまな人間がその都度自分なりにつなぎ止め、織り直し、不断に構築=脱構築していくもの、それが「東大主義」なのです。
そして、差異を肯定し画一性や同質性といったものに抵抗し続ける姿勢こそが「危機の時代」に最も求められるのではないかと我々は考えます。受験生はもちろん、大学の在り方、知の在り方に関心がある全ての方々に本書を手に取っていただければ幸いです。
[書き手] 円光門(『東大/主義』編集長・東京大学法学部3年)
「東大/主義」とはなにか?
新型コロナウイルスの感染拡大は、世界中の人々に多くの「問い」を突き付けました。「問い」の中にはもちろん、資本主義を基盤とした経済流通システムや、既存の国際関係に対する反省といった「大きな問い」も含まれますが、我々一人一人にとってより身近な「小さな問い」も無視できないものばかりです。これまで当たり前のことだと思われていたこと、見逃されていたことについて、失われて初めてその意味が見いだされたり、逆に不必要であることが判明したりと、相反する方向性を持つ力が我々を取り巻く物事の存在意義に揺さぶりをかけたのです。揺さぶりの対象とされたものの中には、当然「学びの在り方」や「受験の在り方」も含まれるでしょう。本書は主に東大を志望する中高生のために書かれたものですが、単なる受験対策本に尽きるものでは全くありません。もちろん、勉強法アドバイスや合格体験記といった受験対策関連のコンテンツは充実していますが、それ以上に本書には、東大の〈今〉を伝える仕掛けが多く隠されています。さまざまなルール、価値観、制度などが問い直されているこの転換期の時代において、東大の強みや在り方とはどういうものかということを学生視点で彫琢する。これが本書の最たる目的なのです。副題を「危機の時代に、東大の真価を問う」としたのは、まさにそのような意図に由来します。
東大の真価を問うに当たって指針となるのが、タイトルの「東大主義」です。我々は、東大を東大たらしめているものや、東大の研究・教育上の核心的な価値のことを「東大主義」と呼ぶことにしました。しかし「東大主義」とはそもそも何なのでしょうか。
○○とは何かという問いを探究しようというとき、伝統的な方法としては以下の二つがあります。一つは、○○という概念を、経験から独立した理性の能力のみを通じて分析していく方法で、これは古代ギリシャの哲学者プラトンが用いた方法です。もう一つは、○○について当時の高名な人々が持つさまざまな見解を集めて吟味するというもので、これはプラトンの弟子アリストテレスが主に好んだ方法です。本書が「東大主義」とは何かを考えるのに当たって採用したのは後者です。
本書の第3章と第4章の間に位置する特集「東大主義とは何か」では、さまざまな東大関係者が考える「東大主義」の内実を紹介しています。学生からは卒業生総代が2名と総長賞受賞者が2名、教員からは広報室長と東京大学出版会理事長の2名と、実に多様な取材対象から多様な答えを聞き出すことができました。
さらに、政治家、研究者、医師、作家といった東大出身で活躍されている著名な方々に取材をしたロングインタビューにおいても「東大主義」に関する問いが追求されています。ここでぜひ注目していただきたいのは、各インタビュイーが考える「東大主義」は、それぞれの生まれ育ち、興味関心、問題意識といったものを色濃く反映し、故にどれ一つとして同じものがないということです。
「東大主義」という語は、堅苦しく権威主義的に聞こえるかもしれません。あるいは「東大至上主義」という言葉があるように、ともすれば傲慢なニュアンスに捉えられてしまうかもしれません。しかし本書が追い求めているのは、そのような階層的で同質的な考え方では決してなく、むしろ自らがはらむ差異性を積極的に拡大させ、自由に多方向へと発展させていく契機としての「東大主義」です。
表紙を見てください。「東大主義」という漢字4文字が、それぞれ全く異なるフォントで書かれていることに気付いたでしょうか。すでに述べた通り、各人の「東大主義」に対する考え方は実に多様ですが、それは東大で学んできた人たちの生き方が多様だからであり、このことは東京大学憲章の「東京大学は、構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識」するという文言にも反映されています。
「東大」と「主義」の間にスラッシュ(/)を入れたのもこのことを示すためです。常に結合しそうで決して結合し得ない二つの言葉を内包した「東大主義」は、そもそも一つの概念ではありません。放っておけばバラバラになってしまうところを、東大に関わるさまざまな人間がその都度自分なりにつなぎ止め、織り直し、不断に構築=脱構築していくもの、それが「東大主義」なのです。
そして、差異を肯定し画一性や同質性といったものに抵抗し続ける姿勢こそが「危機の時代」に最も求められるのではないかと我々は考えます。受験生はもちろん、大学の在り方、知の在り方に関心がある全ての方々に本書を手に取っていただければ幸いです。
[書き手] 円光門(『東大/主義』編集長・東京大学法学部3年)
ALL REVIEWSをフォローする










































