書評
『〈反延命〉主義の時代:安楽死・透析中止・トリアージ』(現代書館)
個人の思いが政治利用され得る危険
先進圏を中心に安楽死やPAD(医師の助けを借りた死、本書ではPAS)解禁の傾向が広がり、日本でも難病の五十代の女性がスイスで自死を遂げた事情を、NHKが密着ドキュメンタリーとして放映、同じく密着取材した宮下洋一氏の著作(『安楽死を遂げた日本人』小学館)も刊行されて、一つの社会問題になっている。本書は、そうした状況を「反延命主義」と名付け、三人の編者ほか多くの論客の文章や対談を盛り込んだ、反論・批判の書である。第Ⅰ部「<反延命>主義の現在」、第Ⅱ部「<反延命>主義を問う」となっているが、第Ⅰ部で、特に編者の一人堀江氏の序章は、「<反延命>主義とは何か」と題されながら、その定義や現状の描写からは離れて、厳しい批判の文章である。世界や日本の状況の客観的な分析は、第三章児玉真美氏の論述で果たされる。
やはり編者の一人小松氏の第一章は、前述のスイスで自死を遂げた日本女性のTV番組の、極めて詳細な分析が主題だ。小松氏は、番組プロデューサーの姿勢に、長い取材期間中、微妙な変化が起こり、番組は、結果的に、自死を遂げた女性の価値判断の一方的な代弁になった、とする。つまり、「いのち」と「生き方」とを分断し、後者を優先させることを問題視する。また、そのような取材と公表とを許した理由を、この問題に関して日本社会に一石を投じたかったから、と女性は主張するが、その主張を取り上げるに当って、ジャーナリストとしての批判精神は、働かなかったのだろうか、という疑問が提出される。
ここで提起された「いのち」と「生き方」との分断と選択は、極めて深刻な問題である。国際的に見ても、安楽死あるいはPADに走った人々の多くは、今耐え難い苦しみに七転八倒しており、それを除く方法は、致死量に近い鎮静か、死そのもの以外に選択がない、という状況ではなく、今の病気が、それを止める方法が見つからないままに、将来進行した際に想定される状況への、耐え難い惧(おそ)れ、拒否感を事由としている。そのような状況下の自分の「生き方」をどうしても受け容れられない、という思いが、自死へと誘う。
小松氏をはじめ、本書の著者たちは、個人の抱くこのような「思い」を、事実として全面的に否定するわけではなかろう。そうした思いが拡張されて、政治的(非常に広い意味で使いたい)に利用され得ることの危険に、警鐘を鳴らしたいのだ、と私は読んだのだが。
「政治的」側面の一つは、それがナチズムにおける優生思想と重なる、という点である。しかし、ナチズムは百パーセント悪である、ゆえにナチズムに重なるものも、議論なく悪である、という論理は正しいか。また堀江氏は<反延命>に加担するのは「医療右翼」だと断じるが、小松氏も指摘するように、日本で優生保護法(現母体保護法)制定に尽力したのは、当時の左翼政党の人々だったこと、またヨーロッパでも、現在安楽死法制定に反対しているのは、保守色の強い勢力であることを考えれば、話は一筋縄ではいくまい。
かく問題は厄介だが、あの女性が投じた一石が、本書を生んだことは確かだし、他の執筆者の論考に触れる紙幅がなくなったのは残念だが、今後問題を考えるのに、絶好の一書を得たことを喜ぶ。
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