解説

『日曜日/蜻蛉-生きものと子どもの小品集』(中央公論新社)

  • 2022/01/12
日曜日/蜻蛉-生きものと子どもの小品集 / 志賀 直哉
日曜日/蜻蛉-生きものと子どもの小品集
  • 著者:志賀 直哉
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(245ページ)
  • 発売日:2021-12-22
  • ISBN-10:4122071542
  • ISBN-13:978-4122071544
内容紹介:
「私は今、六十五才の老人であるが、いきものに対しては子供と同じように興味を持っている」。〝小説の神様〟志賀直哉が生涯見つめ続けた子どもと生きもの。それらの短篇を集めた『日曜日』『蜻蛉』を合本とし、網野菊「先生と生きもの」を付す。〈解説〉阿部公彦
志賀直哉には、子供や生き物を扱った作品を集めた『日曜日』と『蜻蛉』という二つの短編集があった。本書はこれを一冊にまとめたものである。こうした試みは志賀直哉の文庫としてははじめてで、偉大な文豪というイメージに敷居の高さを感じていた人も、これならさほど手に取りやすいのではないかと思う。収められているのは「清兵衛とひょうたん」「城之崎にて」「小僧の神様」といった有名な作品の他、ごく気軽に頁を繰ることのできるスケッチ風の掌編や、明るい童話風のものも含まれていて、志賀文学への入り口としてとても新鮮である。

かつては国語の教科書をひらけば必ず目次に志賀直哉の名前があったものである。時代の流れもあり今ではそうした傾向に変化が見られるが、今回収録された作品を読み返すと、若年層向けの作品として志賀文学が大きな魅力を持っていることにあらためて気づかされる。彼の作品には不思議なルートで「こども」への道が開かれているのである。

志賀の作品は一見すると難し気なところがあり、「おとな」向けのものととらえられがちだ。私も国語教科書に掲載されたその作品を読んで、「こんな微妙な味わいのものを中学生や高校生が理解できるのだろうか」と思ったことがある。「城の崎にて」など、それなりに志賀作品に馴染んだ人でも「これで十分に理解したことになるのだろうか?」と思わず自問したくなる引っかかりどころがある。複雑な心理がきわめて暗示的に描出され、おそらく語り手や、作家本人にも把握できていないのかもしれない、謎めいた荒涼とした瞬間がとらえられている。もちろんそれは最終的には、主人公がイモリに石を投げるあの場面へとつながる。

よりストーリー性の強い「清兵衛とひょうたん」や「小僧の神様」なども、展開の隙間にちょっとした飛躍が差し挟まれ、おかげでドラマとしてのおもしろさが生まれる一方、こだわり出すと、またまた「これで十分に理解したことになるのだろうか?」と気がかりになってくる。たとえば「清兵衛とひょうたん」では、なぜ清兵衛はああした形のひょうたんにこだわったのか。あるいは「小僧の神様」では、貴族院議員の心のわだかまりの背後にあるのは何か、などと問いが浮かぶ。その答えは明瞭には描かれてはいない。ただ、明瞭に描かれてはいなくとも何となく納得してしまう。そこがおもしろい。しかし、こうした「納得」は大人向けのもののようにも思えるのである。

そんなことを考えるにつけ、つい「中学生や高校生にどうやってこれを説明できるだろう」と悩ましい気分になる。是非、説明してみたいが、伝わらないかもしれない、と。しかし、これは杞憂かもしれない。志賀の作品はそんなふうに大人の読者の注意をひきつけ、緊張させ、深く考え込ませるようなメカニズムを持つ一方で、不思議と子供の視線をもはねつけない、それどころか自由に遊ばせるような開放性を持っているのである。

私は中学生や高校生だったころ、志賀直哉をいったいどのように読んでいただろう。上にあげたような問いや引っかかりを言葉にした記憶はもちろんない。そのかわり、志賀の作品に流れる時間や、一つ一つの生き物や人間や事物との距離感を、「そうか、これが世界というものか」という小さなため息や憧れとともに、しかし言語化もできないまま、ただ見つめていたように思う。

そうなのだ。志賀は見つめることを教えてくれたのである。あれこれ引っかかったり、問いをたてたり、理屈をこねたりするのは大人の仕事である。もちろんそれも大事だが、志賀が子供への回路を保っているのは、理屈に負けないような目を持っているからだ。本書に収められた作品も、随所にそうした目が光っている。

たとえば本作には「家守」と題された一篇が含まれている。これは家守との遭遇を描いたスケッチ風の作品だが、その冒頭近くに次のような印象的な場面が描かれている。

家守は飛石の傍にじっとしていた。自分は殺さないとまた晩に入って来るだろうと思った。庭へ下りると家守は逃げ出したが自分は杉箸で銅中をおさえてひどく地面へ擦りつけた。柔らかい胴がただよれるだけでなかなか死なない。自分は家守の少し弱った所を上から頭を突きつぶしてやろうと思った。二三度失敗した後うまく丁度眼と眼の間の脳天に箸を立てた。箸の先は黒く焦げて尖っていた。家守は尾をクリックリッと動かして藻掻いた。自分は手に少し力を入れた。家守はキューキューと啼いた。それからぐっと力を入れると片方の眼が飛び出した。そして自然にそうなるのかまたは抵抗する気か口を大きく開けた。口の中は極く淡い桃色をしていた。箸は脳天から咽へと突きとおった。箸を上げるとその先に家守がだらりと下がった。未だ死にきってはいなかった。しかしそれは部分的に身体が生きているので脳天を突きぬかれた家守の命は消えたも同じだった。

主人公が家守を目撃し、殺そうと決めて箸で攻撃する様子は凄惨とも言えるもので、子供にこのようなものを読ませることにためらいを覚えるという人もいるだろう。ただ、この場面には私たちがしばしば抵抗感を覚えるような、暴力シーン特有の陶酔感が欠如していることにも注意したい。少なくとも語り手も主人公も家守を殺すことに酔ったり、それを美化したり、あるいは露悪的にふてぶてしい態度をとったりする気配はない。たしかに「ぐっと力を入れると片方の眼が飛び出した」「口の中は極く淡い桃色をしていた」「咽へと突きとおった」といった一連の描写は圧迫的だが、そこには決定的に情緒的な意味づけが欠落している。だからこそ私たちは、意味もわからずにただじっと見ているという実感を得るのである。

珍しい光景を目にした幼い子供は、わけもわからずにただ目を凝らす。ちょうどそんな凝視に近い何かをこの一節は体験させてくれる。しかも驚くべきことに、この作品の主人公は幼い子供などではなく、家族から離れて一人暮らしを営む立派な大人なのである。

おもしろいのはこの場面の後である。殺したと思った家守は生きていた。すると主人公は急にさまざまな感情に取りつかれ始める。
 
家守は何時の間にか生きていた。片眼は飛び出したまま、脳天は穴の開いたまま、自分が近よると弱弱しい歩き方で逃げ始めた。自分は不意に厭な気持ちに襲われた。自分は若し此の家守が此まま自然に元通りのからだに癒ってしまうだろうと考えられたら生返った事を喜べたかも知れない。しかしそうは考えられなかった。そして自分は気味悪さと同時に或怒りを感じた。

 ここへ来て主人公は「厭な気持」「気味悪さ」「怒り」といった感情に取りつかれるのだが、これらの感情は家守に危害を加えた彼の行為とどれだけ有機的に連動しているだろう。むしろ心と身体とが分離してしまったかのように、家守からも、家守を攻撃した自分自身からも離れたところで、感情にとりつかれているように見える。この感情は、明らかに大人のものである。またこうした感情をそれと把握するのも大人ならではだろう。

この分離の感覚は、たとえば迷子になった犬を追いかける場面や(「クマ」)、猫に殺された親雛の首を描写する場面や(「濠端の住まい」)、蛇とマングースの映像を再現する一節(「素人玄人」)などにも大いに認められるが、それだけではなく「日曜日」や「清兵衛とひょうたん」のような一見牧歌的な作品中での、風景や事物の描きぶりにも見て取れる。

志賀は意味が立ち上がってくるのを停止させる術を知っているようだ。それとも、そんな悠長なことではないのか。志賀の目は住み慣れた日常の中に、嫌でも「そうではないもの」を見てしまうのではないか。彼の感情の湧出は、そうやって遊離したものを懸命に取り戻そうとする藻掻きのように見えなくもない。

「そうではないもの」を、志賀本人なら「ありのまま」と呼んだだろう。しかし、「ありのまま」と呼ぶだけでは足りないような、ヒヤッとするような視界がそこには広がる。少なくとも大人はヒヤッとする。これに対し子供は、ただじっと見つめる。そうやって子供は、世界を見つめるとはどういうことかを知っていくのだ。

この分離した光景が何を意味するのかを私は十分に説明することができない。そこには、意味から抜け出した異世界がある。説明できなくて当然なのである。しかし、この異世界には子供や動物が住んでいる。彼らももちろん意味づけなどしないが、住み、体験し、生きている。飼っているとは言うまい。志賀直哉はそうした存在と共にいるのだ。だからこそ書けたのではないかと思う。
日曜日/蜻蛉-生きものと子どもの小品集 / 志賀 直哉
日曜日/蜻蛉-生きものと子どもの小品集
  • 著者:志賀 直哉
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(245ページ)
  • 発売日:2021-12-22
  • ISBN-10:4122071542
  • ISBN-13:978-4122071544
内容紹介:
「私は今、六十五才の老人であるが、いきものに対しては子供と同じように興味を持っている」。〝小説の神様〟志賀直哉が生涯見つめ続けた子どもと生きもの。それらの短篇を集めた『日曜日』『蜻蛉』を合本とし、網野菊「先生と生きもの」を付す。〈解説〉阿部公彦

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