書評
『生きていりゃこそ』(新潮社)
官能的な感動呼ぶ天才役者の芸と追憶
本書は、「大遺言書」として週刊誌に今も連載中の文章をまとめたものです。大なり小なり遺言書というものは、そう遠くない将来に著者が亡くなることを想定しているわけですが、世間の予想を裏切る森繁マジックが働いたのか、本書はその三冊目! 森繁さんも九十二歳になり、題して「生きていりゃこそ」。とても遺言書の題とは思えません(その意味は本書巻末で明かされますが、そこだけ立ち読みしてはいけません。全編通して読んで初めて感動がいや増すのです)。
しかし、本書はよくある聞き書きとは違って、あくまでも作家・久世光彦が「私」として語り、年上の友人・森繁久彌の言動を描くという連作エッセーです。
何せ二人は四十年の付きあい。子供の私が見ていたTV「七人の孫」以来の仲間です。当時森繁は五十一歳。しかし稽古場(けいこば)に入る時から、「どう見たって七十七翁だった。凄(すご)い人だと思った」というのです。芸で老人を演じていた天才役者が、いまや老人という芸を見せているのですから、面白くないわけがありません。
森繁さんは大の健啖家(けんたんか)で、齢(よわい)九十余にして四キロの牛肉ですき焼き大会を開いたりします。本書には森繁家の食生活のリストが公開されていますが、誰もが唖然(あぜん)とするでしょう。また、森繁さんは銭湯が大好きですが、一度町の銭湯に出かけていって周囲にパニックを起こして以来、銭湯は禁じられています。しかし、突然帝国ホテルの大きな風呂に入りたいといい出したり、ふらりと人のパーティーに顔を出して大歓迎を受けたりしています。うつらうつら眠り、時々舞台への情熱でかっと目を見開いたりします。
そんな森繁さんの日常生活が、ページを繰るにつれ、しだいに、見聞きした奇人変人の思い出、戦後の旧満州での悲惨な経験、初恋の人との交情、母への思い、忘れがたい言葉や歌など、はるかな追憶のなかへと漂いだします。時間が溶けてゆくほとんど官能的な感動に、読者は甘く哀(かな)しく酔わされるでしょう。
これは役者の言行録というより、彼を媒介として作家が美しく結晶させた、失われた時への切々たる挽歌(ばんか)なのです。
朝日新聞 2005年7月31日
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