書評
『半島を出よ〈上〉』(幻冬舎)
福岡を独立させよ、暴力・テロの近未来リアル
北朝鮮特殊戦部隊の精鋭が福岡ドームを占領し、三万人の野球観戦客を人質にして、福岡を日本国から独立させようと図る。荒唐無稽、というもおろかなこの物語を、リアルで緊迫した近未来政治小説に仕立てあげたのは、村上龍の卓越した調査力と構想力である。奔放なイマジネーションを、細密な世界認識ががっちりと支えている。
ドルの凋落がすべての始まりだった。日本は大量のアメリカ国債をもっているはずだったが、その大半はアメリカ財務省の金庫に保管され、アメリカの圧力で売ることができなかった。その結果、日本の円と国債と株の大暴落が起こり、ついに国民の預貯金が凍結される。こうして経済大国から転落した日本の弱り目に北朝鮮がつけいったのだ。
特殊戦部隊の人質作戦に手をこまねいた日本政府は、テロの拡散を恐れて福岡を封鎖する。その間に、特殊戦部隊は住基ネットと納税者番号を駆使して、悪質な資産家を逮捕し、財産を没収して、その資産をもとに福岡内部の政治・経済を牛耳ってゆく。彼らには日本人の予想をこえる二の手、三の手があった……。
特殊戦部隊の政策は表面上ほぼ合法的だが、その遂行を保障しているのは、苛酷な暴力である。人を廃人にする拷問であらゆる情報を引きだし、自分たちに攻撃が加えられればただちに報復の処刑とテロを行うと脅迫し、規律に反した部隊兵を見せしめに公開射殺する。
この暴力は「外部」のシンボルである。日本の内部にいて、外部の恐ろしさを見て見ないふりを続けてきた日本人が、いきなり戦争とテロにみちた「外部」に犯されたのだ。いわば、精神的鎖国を無理やり、北朝鮮のリアルな暴力によってこじ開けられたのである。
人命尊重を第一に掲げた日本政府は、福岡を封鎖することで真の決断を回避し、とりあえず鎖国を続けるしかない。人命などになんの価値も見ない北朝鮮特殊戦部隊との勝負は初めからついていたといえよう。第一ラウンドは特殊戦部隊の完全な勝利に終わる。
だが、北朝鮮にも「外部」は存在しない。どれほどリアルポリティクスにおいて巧妙であろうとも、例外や逸脱や少数者を絶対に容認しない北朝鮮には、内部だけがあって、外部が存在しない。そこにいらだつ日本人がいた。均一的日本社会から「外部」として排除された、犯罪者や異常者からなる少年の集団である。
毒虫飼育やブーメランや手製爆弾やビルの配管や軍事のおたくである犯罪少年たちは、みずからの特技をいかして、北朝鮮特殊戦部隊へのカウンターテロを開始する。
かつての怪作『昭和歌謡大全集』の続編である本書は、アウトロー少年の活躍を描くスリリングな冒険小説としても見事に成功している。だが、この強烈なスリルは、隠されていた外部の暴力が露呈するとき、人間はどこまで自己に誠実に決断し行動できるか、という根源的な倫理の問いから生まれているのである。
朝日新聞 2005年5月1日
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