後書き
『ポワロと私: デビッド・スーシェ自伝』(原書房)
ミステリの女王アガサ・クリスティーが生んだ名探偵エルキュール・ポワロ。世界中で愛され続けているのは小説のすばらしさはもとより、ドラマの力が大きかった。ポワロ俳優として著者が過ごした4半世紀を余すところなく綴った書籍『ポワロと私』より、訳者あとがきを公開します。
「役者は作家の忠実な僕であるべき」との信念から、クリスティーの原作を徹底的に読み込み、真のポワロ像を追求したスーシェは、ただ滑稽に描かれるだけだった従来のポワロに深い人間性をもたらした。劇中でポワロが風邪を引けば、必ずスーシェも風邪を引いたというほど、まさにポワロと一心同体となったスーシェは、ときに演技をめぐって監督と衝突しながらも、「ポワロの守護者」として、最後まで原作のイメージを守り抜いた。
第1シリーズ・第1話『コックを捜せ』でテレビに初登場して以来、制作チームの変更や方向性の転換などを経て、第13シリーズ・最終話までの全70作を演じきったスーシェ。彼のこの功績はイギリス王室も認めるところで、スーシェは2002年に大英帝国四等勲位(OBE)、2011年に大英帝国三等勲位(CBE)、そして2020年にはナイトの称号を受けている。実際、『名探偵ポワロ』は王室でも人気だったようで、スーシェはバッキンガム宮殿での女王主催の昼食会に招かれた。その席で、エジンバラ公から直々にマンゴーの食べ方を教わったという驚きのエピソードは、第3シリーズ・第8話『盗まれたロイヤル・ルビー』にも生かされている。
本書の共著者で、ドラマのエグゼクティブ・プロデューサーでもあったジェフリー・ワンセルは、ポワロ役を引き受ける決心をしたスーシェにこう言った――「君の人生はすっかり変わるだろうよ」。その言葉通り、『名探偵ポワロ』は世界的に大ヒットし、スーシェは一躍スターとなったわけだが、これだけの成功を収めたにもかかわらず、彼の謙虚な姿勢は少しも変わらなかった。それどころか、役者稼業に先の保証はないからと、いつもシリーズが継続されるかどうかに不安を抱いていた。自分はあくまでも舞台俳優、性格俳優であって、スターやセレブではないし、そうなりたいとも思わないというスーシェは、専属の運転手をもつ身分になっても、決して後部座席には座らず、助手席で運転手のショーンを相手に台詞の練習をしていた。
一方、シェイクスピア俳優でもあったスーシェは、ポワロ・シリーズ以外にも数々の舞台や映画、ドラマに出演し、高い評価を得てきた。ウエスト・エンドでは高慢な大学教授を、ハリウッド映画ではアラブ人のテロリストを、BBCではチェコ出身のメディア王をといったように、スーシェは多彩な役柄を見事に演じ分けてきた。本書では、そうしたポワロ以外のスーシェの顔も随所に見ることができる。
しかし、どこでどんな役を演じていようと、彼の心からポワロへの思いが消えることはなかった。エルキュール・ポワロという役に全身全霊を傾けたスーシェにとって、ポワロ・シリーズは彼の俳優人生そのものだったからだ。つまり、『名探偵ポワロ』は、アガサ・クリスティー原作のテレビドラマであると同時に、スーシェとポワロの25年にわたる心のドラマでもあったのだ。本書はそんな二人の静かな感動の物語であり、ポワロを演じたデビッド・スーシェにしか書けない貴重なメモワールなのである。
[書き手]高尾菜つこ(翻訳家)
ポワロ俳優が大切にしてきたものとは
世界中で約10億人が視聴したとされ、今なお愛され続ける傑作ドラマ『名探偵ポワロ』。本書は、そのポワロを1988年から2013年まで、4半世紀にわたって演じたイギリスの俳優、デビッド・スーシェの回想録である。「役者は作家の忠実な僕であるべき」との信念から、クリスティーの原作を徹底的に読み込み、真のポワロ像を追求したスーシェは、ただ滑稽に描かれるだけだった従来のポワロに深い人間性をもたらした。劇中でポワロが風邪を引けば、必ずスーシェも風邪を引いたというほど、まさにポワロと一心同体となったスーシェは、ときに演技をめぐって監督と衝突しながらも、「ポワロの守護者」として、最後まで原作のイメージを守り抜いた。
第1シリーズ・第1話『コックを捜せ』でテレビに初登場して以来、制作チームの変更や方向性の転換などを経て、第13シリーズ・最終話までの全70作を演じきったスーシェ。彼のこの功績はイギリス王室も認めるところで、スーシェは2002年に大英帝国四等勲位(OBE)、2011年に大英帝国三等勲位(CBE)、そして2020年にはナイトの称号を受けている。実際、『名探偵ポワロ』は王室でも人気だったようで、スーシェはバッキンガム宮殿での女王主催の昼食会に招かれた。その席で、エジンバラ公から直々にマンゴーの食べ方を教わったという驚きのエピソードは、第3シリーズ・第8話『盗まれたロイヤル・ルビー』にも生かされている。
本書の共著者で、ドラマのエグゼクティブ・プロデューサーでもあったジェフリー・ワンセルは、ポワロ役を引き受ける決心をしたスーシェにこう言った――「君の人生はすっかり変わるだろうよ」。その言葉通り、『名探偵ポワロ』は世界的に大ヒットし、スーシェは一躍スターとなったわけだが、これだけの成功を収めたにもかかわらず、彼の謙虚な姿勢は少しも変わらなかった。それどころか、役者稼業に先の保証はないからと、いつもシリーズが継続されるかどうかに不安を抱いていた。自分はあくまでも舞台俳優、性格俳優であって、スターやセレブではないし、そうなりたいとも思わないというスーシェは、専属の運転手をもつ身分になっても、決して後部座席には座らず、助手席で運転手のショーンを相手に台詞の練習をしていた。
一方、シェイクスピア俳優でもあったスーシェは、ポワロ・シリーズ以外にも数々の舞台や映画、ドラマに出演し、高い評価を得てきた。ウエスト・エンドでは高慢な大学教授を、ハリウッド映画ではアラブ人のテロリストを、BBCではチェコ出身のメディア王をといったように、スーシェは多彩な役柄を見事に演じ分けてきた。本書では、そうしたポワロ以外のスーシェの顔も随所に見ることができる。
しかし、どこでどんな役を演じていようと、彼の心からポワロへの思いが消えることはなかった。エルキュール・ポワロという役に全身全霊を傾けたスーシェにとって、ポワロ・シリーズは彼の俳優人生そのものだったからだ。つまり、『名探偵ポワロ』は、アガサ・クリスティー原作のテレビドラマであると同時に、スーシェとポワロの25年にわたる心のドラマでもあったのだ。本書はそんな二人の静かな感動の物語であり、ポワロを演じたデビッド・スーシェにしか書けない貴重なメモワールなのである。
[書き手]高尾菜つこ(翻訳家)
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