書評
『マンガ学への挑戦―進化する批評地図 NTT出版ライブラリーレゾナント003』(NTT出版)
新たな視角含む強力無比の案内図
夏目房之介はマンガにおけるロラン・バルトである。例えば彼は山岸凉子作『日出処の天子』の主人公の顔を論じている。その精妙な分析を読むと、抽象的な記号の集合にすぎないマンガの空間から、たしかに「身体性」と呼ぶしかない官能的な体験が立ちあがってくるプロセスを実感できるのだ。文学の世界で、こうした記号の「身体性」の体験を自覚的に言葉にした批評家はバルトだった。だから、彼はマンガ界のバルトなのだ。本書でも夏目は、マンガ家へのインタビューがしばしばつまらないものになることに触れて、マンガ家の「完全に身体化された技能」は格闘技やスポーツに通じるもので、マンガ家の作家的記憶は作品と手技の間に残っているので、マンガ家個人の日常的意識に問いかけても実りは少ないのだと見事な説明をしている。
とはいえ、こうした夏目房之介のマンガ表現論は、彼の個人的な才能だけから生まれたわけではない。本書は、現在のマンガ批評の水準と情勢を見渡すためのきわめて明解で簡便な「地図」だが、同時に、日本の戦後マンガの受容史をたどることで、夏目マンガ表現論が生まれてくる歴史的な経緯も明らかにしている。
本書が根本におく問いは、マンガは誰のものか?というものだ。一九六〇年代の鶴見俊輔らの大衆文化論は、マンガは社会のものだと考えた。一方、七〇年代以降の「マンガ世代」は、マンガを自分のものだと実感し、マンガに共感できる自分=作者という理解の共同の場を作りだした。ここに初めて作者と自己同一化できる読者層が成立したのである。
夏目房之介が切り開いたマンガ表現論もまた、このマンガ理解の共同の場の成立を背景にしている。ただし、夏目は作者=読者という表現主体の意図の完結性を信じるほど素朴ではなかった。先にも触れたように、作者=読者の意図をこえるマンガの身体性に注目し、新たな表現論の視角をうち立てたのだ。
その後の社会学的な展開も興味深く、マンガに関心をもつすべての者がたち帰るべき議論の基盤を提供する、小さいが強力無比のガイドマップである。
朝日新聞 2004年12月19日
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