書評
『〈世界史〉の哲学 現代篇1 フロイトからファシズムへ』(講談社)
ビーズのように繋ぐ知性の洞察
「<世界史>の哲学」シリーズ8冊目『現代篇1』。20世紀に変容する近代の全貌を明かす。本書のテーマはファシズムだ。この奇怪な体制の正体は何か。
ファシズムは主張する。資本主義を資本主義のまま、よりよく改造できる。それには資本主義に巣くう悪を除くべきだ。ユダヤ人を排除せよ。そしてゲルマン人の生存空間を拡大せよ。再軍備(失業をなくす)と戦争(国境をなくす)である。ドイツ国民は熱狂した。
ならば、やっていることは正しいはずだが、どこかやましい。ユダヤ人の惨状を隠して外にはみえないようにし、虐殺の記録も残さなかった。無意識の悪なのだ。
ナチスは大英帝国の裏返しだ。大英帝国は欧州の国際秩序をはみ出して海洋の覇権を得、グローバルな国際秩序を築いた。そこには植民地の多様な住民がいる。いっぽうナチスは、欧州に執着し陸の覇権を求めた。ナショナリズムのままナショナリズムをはみだす、危険な超ナショナリズムだ。
ファシズムはフェイクを増幅して人びとを駆り立てた。SNSの現代に通じる凍りつく怖さだ。
ファシズムは、ソ連のスターリニズム、アメリカのニューディールに挟まれて牙をむいた。共通する特徴と対立する側面がある。
ファシズム解明のカギはフロイトだ。『トーテムとタブー』で原父殺害説を、彼は唱えた。その昔息子らは共謀し、女性を独占する父を殺害した。だが罪の意識が残り、女性を嫁がせ妻は外から娶った。死んだ父の支配だ。この「エディプス・コンプレックス」が近代人のモデル。負債に駆動される資本主義のあり方そのものだ。
フロイトは最晩年『モーセという男と一神教』で、この論を修正した。モーゼはエジプト人で、一神教をイスラエルの民に託した。そして彼らをエジプトから脱出させたが、厳格すぎて彼らに殺害された。殺害した民のリーダーもモーゼを名のり、ユダヤ教を確立した。荒唐無稽な説だ。ユダヤ人のフロイトは亡命を強いられ、エディプス神話が壊れた新時代が到来すると、預言をのべたのだ。
ニーチェもよい補助線だ。「神は死んだ」の宣言は実は、キェルケゴール流の信仰と二人三脚だ。『ツァラトゥストラ』でニーチェは永劫回帰を説く。ルサンチマン(怨念)を離れなさい。不本意な過去を受け入れられないのが怨念だ。ならば《現に起きていることに抗して決定的な出来事はすでに起きたと想定す》ればよい。過去も未来もないから、永劫回帰。ナチスは怨念のかたまりだ。永劫回帰はそれにつける薬になるか。
永劫回帰には危険な面もある。「権力への意志」へと向かうからだ。《人間はみな、他者(の解釈)を、自らの解釈の中に部分として位置づけようと…競争しあっている》。この権力への意志は、市場の資本と同様の動きをする。近代に絡めとられやすいのだ。
なお本書のファシズムは、ナチズムも指すので注意しよう。
本書はほかに、ヘーゲル、カール・シュミット、ラッセル、ヴェーバーら、選り抜きの知性の洞察を、ビーズのように繋いでいく。二○世紀の図柄が浮かび上がる。
大澤氏の仕事のスケールは圧倒的だ。古代篇から始まり大詰めのシリーズは、わが国の社会学の記念碑的著作として記憶されよう。
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