書評
『幕末あどれさん』(幻冬舎)
「青年」の心の揺れ、今に通じる人生劇
芝居というのはふしぎなもので、まっとうな人物ほどつまらない男に見え、どうしようもない悪党が、人間らしく立派に見える一瞬がある。
江戸から東京へ。幕府の瓦解(がかい)こそもっとも演劇的な時代であった。その転変の数年を描いた、これはじつに手練れの作品といえる。
旗本小納戸役の次男久保田宗八郎は、講武所をやめて河竹新七(のちの黙阿弥)の弟子となる。一方、小普請組の次男、片瀬源之介は、いいなずけを置いて幕府陸軍歩兵に志願した。
腰のものに嫌気のさした男と、腰のものは頼りにならないと踏んだ男、二人の部屋住みの青年、フランス語でいう<アドレサン>の交錯しそうで微妙に出会わない人生をぐいぐいと描いていく。それぞれに知力も武芸の腕もありながら、ものにぴたっとめぐりあわぬ運命とでもいおうか、その運命の逸(そ)れ方が、いわゆる時代劇的なご都合主義、大仰なパターンにならない。現代人の心の揺れを思わせ、登校拒否や母子密着、OAに乗り遅れるサラリーマンなどまで髣髴(ほうふつ)とさせるところがあって、江戸の風俗や芝居の世界が抜け目なく書き込まれているだけに、心に惻々(そくそく)と迫る。
なるほど、高杉晋作や坂本龍馬、土方歳三など、舞台を得た人びとの華々しい英雄譚(たん)のかげに、こうした小禄(しょうろく)の幕臣たちの哀(かな)しい、さえない人生があったのか。「いまの世に武士は廃り者だ」とたとえ目はしがきいたとて、自分の天の邪鬼ばかりは御しがたい。
朝日新聞 1998年11月15日
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