書評
『宮台式人類学 ――前提を遡る思考』(筑摩書房)
「近代の異常」社会学の古典から迫る
宮台真司は吼(ほ)えている。社会学はダメだ! 近代の前提を考えるはずの学問がそれを忘れている。人類学のほうがまだましだッ!二〇一八年に人類学者の奥野克巳氏が宮台ゼミに参加。その縁で「宮台式人類学」をウェブで連続講義したのが本書の元だ。全11講で人類社会を語り尽くす五〇〇頁(ページ)の新書。人類学、社会学、哲学、思想、…の古典を舞台に孫悟空みたいに暴れ回る圧巻の一冊だ。
並みの本ではない。読者は歯が立つまい。でも読めば何かを感じる。どえらい本だとわかる。だからまず読むことを薦めたい。
第一に扱う古典の冊数が多い。しかも大物ばかりだ。第二にそれらが枝を伸ばし根が絡まって、森のように見通しが悪い。だが宮台氏が案内するとその森が、数百万年の人類の営み、数千年の文明の道のり、数百年の近代の歩みなのだとわかってくる。知識でなく体験。この森は息づいている。
森の歩き方も螺旋(らせん)のようだ。ぐるぐる回って同じ場所に出る。二回目は理解が深まる。奥野氏とのコンビも絶妙だ。二人が道案内する贅沢(ぜいたく)な知的探検を楽しめる。
どうやってこんな奇蹟(きせき)が実現したのか。宮台氏は鋭敏なアンテナをそなえている。血がしたたるアンテナだ。傷ついたことを覚えていて書き手に同じ傷があると共鳴する。書き手はなぜその古典を書いたか。この古典とあの古典はどう繋(つな)がるか。そうやって時代の空気感を摑(つか)むと、その時代を成り立たせる視(み)えない前提が浮かび上がる。本書の方法の秘密である。
本書全体の要約は無理なので、ごく一部を紹介する。啓蒙(けいもう)の時代が失敗し、コントが社会学を創唱した。理性で理想社会を築くはずが、恐怖政治と帝政で混乱した。ならこの社会を実証的に科学しよう。その後≪19世紀末から20世紀初頭にかけて、デュルケム、ヴェーバー、ジンメルが近代社会学の礎を築≫いた。≪出発点の社会学には…「近代は異常」≫だとよくわかっていた。だがアメリカ社会学はそれを忘れて、瑣末(さまつ)な実証の論文だらけになった。日本の社会学も同様で、理論はなおざりだ。
≪資本主義の資本主義以前的前提、民主政の民主政以前的前提、主権国家の主権国家以前的前提は…忘却していいものではな≫い。前提には前提の前提、そのまた前提があり、複雑な連関(生態)をなしている。それを追い切るのが宮台システム理論の真骨頂だ。
こうして宮台氏は、マルクス、フロイト、ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、ハイデガー、ホッブズ、アダム・スミス、ケネー、パーソンズ、ルーマン…といった著者ら、マルクーゼ、レイン、ベイトソン、ダンバー、ピケティ、トッド、ローティ、ティール、デ・カストロ、そのほか数えきれない論者らの仕事を血肉化し、わがことのように語る。氏の肉体を透過しているぶん古典は歪(ゆが)むが、かえって体系的でパワフルなメッセージとなる。近代は特異な制度だ。それを自明視せず、人類史の大きな文脈の中に置き直しなさい。
この仕事をするのに宮台氏は全身を使う。相当の負荷がかかる。才能が卓越しすぎて時に境界を越えそうになる。そうして生まれた本書は誰にも真似(まね)のできない達成だ。今後の展開も楽しみである。だから言う。この仕事を英語ほかに翻訳して世界で勝負すべきだ。社会学のオータニになりなさい。
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