書評
『鶏まみれ』(亜紀書房)
「絶対おいしく食べてやる」その意味
ぼくらは毎日、生き物を食べている。だが、どのようにして生き物が食べ物になるのかを考えることはめったにない。本書はその過程を追ったエッセイであり、ノンフィクションである。著者は長崎県在住の写真家。出産撮影をライフワークにしている。そもそものきっかけは、小学校6年生だった長男が、ゲームの代わりにニワトリを飼いたいと言ったこと。卵を産まなくなったら締めて食べる、だから名前もつけない、と最初から彼は決意していた。本を読み、詳しい人に聞き、自宅庭先での養鶏が始まる。その経緯は前著『ニワトリと卵と、息子の思春期』(婦人之友社)に書かれている。
失業していた夫が、養鶏家になると言い出す。長男の庭先養鶏のレベルではなく、大量のニワトリを飼う生業(なりわい)としての養鶏だ。課題のひとつは卵を産まなくなったニワトリをどうするか。できれば捌(さば)いて肉として売りたい。そのためには食鳥処理の業務に3年以上従事することが必要で、著者は食鳥処理場で働きはじめる。
大まかに分けて三つの物語が並行して進む。第1の物語は、養鶏場づくり。土地を探し、鶏舎を建て、ヒヨコを仕入れて育て、産ませた卵を出荷する。第2の物語は食鳥処理場の日々。第3の物語は、著者の家庭。3人の子供たちが成長していく。
圧倒されるのは食鳥処理場の日々だ。処理場に運び込まれる生後50日ほどの生きたニワトリが、どのようにしてスーパーマーケットのパックされた鶏肉になるのかが細かく描かれる。
足を上にして、ニワトリを吊(つる)す。首を切って絶命させ、血を抜く。洗濯機のような機械で羽を取り、首を切り落とす。肛門から包丁を入れて内臓を取り出す。砂肝など食べられる部位と、食べられない部位を仕分ける。肉はムネ、モモ、セセリなどの部位に分けられ、梱包(こんぽう)され、出荷される。
内臓を取り出す作業では、ウイルスや細菌が住んでいる消化管を破らないよう、細心の注意が必要だ。ニワトリを吊したコンベヤーは常に流れていて、1羽にかけられる時間は6秒しかない。
強烈な臭気のなかで血と糞(ふん)にまみれる過酷な重労働だ。胆囊(たんのう)を破ってしまい、顔に胆汁を浴びることもある。生きたニワトリを逆さに吊す作業や、首を切って絶命させる作業は、精神的にもきついものがある。
現場には後期高齢者の女性も多く、ミャンマーからきた技能実習生の女性たち、障害を持つ人もいる。生き物を食べ物にする重要な仕事で、一番しんどいところを引き受けているにもかかわらず、その報酬はほぼ最低賃金。誰にでもできる仕事だからと言う人もいるけれど、誰にでもできるような仕事ではない。ぼくはこの本を読んでから、スーパーの鶏肉パックを見て「この安さの向こうに、80歳を過ぎても働く女性たちがいる」と思うようになった。
緊張感あふれる食鳥処理場の日々に比べて、山の鶏鳴舎と名づけられた夫の養鶏場づくりや、3人の子供たちの成長ぶりの記述は楽しい。書体も前者はゴシック体、後者は明朝体と分けられている。この緩急のリズムが気持ちいい。モノクロームの写真もたくさん入っている。「絶対おいしく食べてやる」という言葉を忘れまい。
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