書評
『きらきらひかる』(新潮社)
小説を読み終えたとき、何らかの「色」が胸の中に広がっていくことが、よくある。この本の場合は、うすむらさき色のソーダ水がはじけるような感じだった。恋に悩んでいる女友だちに電話をかけて「ねえ、これ、読んでみて」と言いたくなった。
アルコールを命の水のようにして生きている情緒不安定の笑子。男の恋人をもつホモの睦月。二人が、見合い結婚をしたところから物語は始まる。もちろんお互いの、何もかもを承知の上で。
こういう結婚があってもいいはずだ、と笑子は思う。なんにも求めない、なんにも望まない、なんにもなくさない、なんにもこわくない。――それが、ふたりのスタートだった。
クリスマスに、睦月がシャンパンマドラーというものを、笑子にプレゼントする場面がある。銀色の百合の花のようなそれは、安物のシャンパンにきれいな泡をたてるための道具だという。
一見すると、奇妙な暮らしのようだけれど、二人のあいだには、やさしくてせつない感情が流れ始める。それは「恋愛」と呼んでさしつかえないものだ。シャンパンの泡のように美しい数々のエピソードを読んでいると、睦月と笑子は、心のシャンパンマドラーを手に入れたのだなあと思う。
私たちは(私は?)恋愛や結婚に、多くのものを求めすぎているのかもしれない。たくさん求め、たくさん望み、なんにもなくしたくないし、だからいろんなことがこわい。
――そんなところからスタートして、得られるものって何?高価なシャンパンも、あけてしまえば、いつか泡の消えるものだということを、知らされるばかりだろう。
二人の親たちは、事実を知って、それぞれに憤慨し、嘆く。見合いのときに確かめたはずのラベルに、大いに偽りあり、というわけだ。二人が精神的に結ばれていく過程と、それは対照的である。
「ごく基本的な恋愛小説を書こうと思いました」と、作者はあとがきに記している。
アルコール中毒の女の子と、ホモの男の子という組み合わせは、ちょっと考えると、「基本的な恋愛」からはほど遠いように思われる。けれどそれは、実は基本を描くための装置なのだ。肉体的に結ばれることのない二人だからこそ、心のつながりに、ごまかしがきかない。相手に何をしてあげられるかを考えることが、恋愛の基本なのだ、と思った。
【この書評が収録されている書籍】
アルコールを命の水のようにして生きている情緒不安定の笑子。男の恋人をもつホモの睦月。二人が、見合い結婚をしたところから物語は始まる。もちろんお互いの、何もかもを承知の上で。
こういう結婚があってもいいはずだ、と笑子は思う。なんにも求めない、なんにも望まない、なんにもなくさない、なんにもこわくない。――それが、ふたりのスタートだった。
クリスマスに、睦月がシャンパンマドラーというものを、笑子にプレゼントする場面がある。銀色の百合の花のようなそれは、安物のシャンパンにきれいな泡をたてるための道具だという。
一見すると、奇妙な暮らしのようだけれど、二人のあいだには、やさしくてせつない感情が流れ始める。それは「恋愛」と呼んでさしつかえないものだ。シャンパンの泡のように美しい数々のエピソードを読んでいると、睦月と笑子は、心のシャンパンマドラーを手に入れたのだなあと思う。
私たちは(私は?)恋愛や結婚に、多くのものを求めすぎているのかもしれない。たくさん求め、たくさん望み、なんにもなくしたくないし、だからいろんなことがこわい。
――そんなところからスタートして、得られるものって何?高価なシャンパンも、あけてしまえば、いつか泡の消えるものだということを、知らされるばかりだろう。
二人の親たちは、事実を知って、それぞれに憤慨し、嘆く。見合いのときに確かめたはずのラベルに、大いに偽りあり、というわけだ。二人が精神的に結ばれていく過程と、それは対照的である。
「ごく基本的な恋愛小説を書こうと思いました」と、作者はあとがきに記している。
アルコール中毒の女の子と、ホモの男の子という組み合わせは、ちょっと考えると、「基本的な恋愛」からはほど遠いように思われる。けれどそれは、実は基本を描くための装置なのだ。肉体的に結ばれることのない二人だからこそ、心のつながりに、ごまかしがきかない。相手に何をしてあげられるかを考えることが、恋愛の基本なのだ、と思った。
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朝日新聞
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