書評
『けもの道の歩き方 猟師が見つめる日本の自然』(リトル・モア)
現代が忘れた技能、今こそ光を
猟師ほど多方面の技能を要する仕事はない。猟師は罠(わな)や銃を扱える技術者であり、登山に長(た)け、里山の管理をする林業の知識も備え、仕留めた獲物を絶命させ、解体するブッチャーでもあり、動物の生態、特性を知り尽くし、環境、気象の変化にも敏感な自然科学者でなければならない。猟師に較(くら)べれば、産業、情報社会のどんな職業も単純労働に分類されるほどだ。効率化や分業化が徹底された分、個々の人間が潜在的に持っていた能力は活用されることなく、忘れられていったので、明日から猟師になろうと思っても、熊に襲われるのが関の山である。狩猟で暮らした先祖への回帰には容易ならぬリハビリテーションが必要だ。筆者は猟師修業を通じて、それを実践し、学んだことを本書に記しているが、狩猟に対する一般的な思い込みを改める実用的な啓蒙(けいもう)書になっている。樹木とミツバチと熊の持ちつ持たれつの関係、単一種の植林がもたらした山野の環境変化と里に出没する動物の相関関係、狩りの方法の多様性、畑を荒らすイノシシのしたたかさなど、人とけものがせめぎあう現場からの報告に興味は尽きない。昨今、里山や農村はかなり様変わりしている。例えば、各地で均一な針葉樹林から広葉樹林への移行が進み、イノシシや鹿の餌になるドングリが増えた。また、山林と耕作地の境界が曖昧(あいまい)になり、またけものみちが道路の敷設によって分断されることによって、里にたびたび野生動物が出没するようになった。観光客が多い名勝地にも熊が現れ、東京郊外の我が家の周辺でもたびたびタヌキと目が合う。狩猟免許を持つ友人は自宅のそばに罠を仕掛け、イノシシを捕っている。ほかにも様々な事情からかつてないほどけものみちは身近になっている。熊よけの鈴をぶら下げてハイキングにいそしむ人にも、文明滅亡後のサバイバルを考える際にも、必読の書といえる。
朝日新聞 2015年11月8日
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