書評
『明治日本の詩と戦争―アジアの賢人と詩人』(みすず書房)
詩人たちの島の行く末
日露戦争がはじまる直前の一九〇三年九月、ひとりの若いフランス人が横浜に到着した。ポール=ルイ・クーシュー、二十四歳。パリの名門、高等師範学校でベルクソンらに哲学を学び、スピノザに関する著作もあったこの俊英は、奨学金を得ての世界周遊の途中で立ち寄った未知の国の詩、とりわけ俳句に深い理解を示し、アジアの小国が列強の仲間入りを果たそうとする未曾有の動乱の推移を記録した。
最初の滞日は、一九〇四年五月まで。帰国後に精神医学の学位を取得し、医師としても活躍。一二年の再来日の後、一九一六年、それまで雑誌に発表してきた文章をまとめて本書の初版を刊行する。今回の邦訳は、この初版に依りつつ二三年の第四版に付された師アナトール・フランスの序文を採録したもので、クーシューの単著としては初の紹介となる。
クーシューは、先行研究に倣って、俳諧を「抒情的エピグラム」と位置づけながら、おなじ短詩であってもそこに「事物を視る」行為があり、作者の「魂のありよう」が刻まれている点で、蔵言や墓碑銘とは別物だと指摘する。一瞬の驚きを定着させる「眼のユーモア」に惹かれたクーシューは、芭蕉よりも蕪村を好んだ。一九〇六年に書かれた第二章は、楽しいアンソロジーとしても読める。
圧巻は、「戦争に向かう日本」と題された第三章の日記だろう。「詩人たちの島が、近代の諸国家のなかで最も結束した國でもあるという奇跡」的な現実を、思い込みや偏見を排して正面からとらえようとするクーシューの筆は、とても二十代の若者とは思えない分析力と、落ちつきを感じさせる。
私たち現代の日本人読者は、平衡感覚にすぐれた本物の知性を動かし、偽りない言葉で貴重な証言を残させた一世紀前の愚かな歴史に、感謝すべきかもしれない。
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