解説
『滝田ゆう漫画館 第5巻 ネコ右衛門太平記』(筑摩書房)
余りものの小唄
ときは五月、解説の締切も迫るというに、根津権現のつつじがもうもう気にかかるというやつだ。天気も良いし、Gパンに下駄をつっかけ、坂を降りる。門前では町の仲間が絵葉書やら何やら売っている。おろしたての下駄の鼻緒が痛い。もう一人、下駄で来た男が、アスファルトは足に響くぜ、という。混んでいる。太鼓連も出た。山車も出た。なんだか、向うの方から滝田ゆうが、着流しにちびた下駄で現われそうな気がした。
丸い目、丸い鼻、丸い顔。丸い肩に短い腕をぶらさげて、いつも下駄の向くまま、気の向くまま、東京の場末をモーローと歩いていたオトコ。昭和七年、向島区寺島町生れ、体重ン十キロオーバー。そしてある日、ふっと消えた。
私は浅草の従兄の家に行っては、従兄と遊ばないで「ガロ」を読んでただけの読者だが、テレビにしたって、滝田ゆうが出てくると破顔一笑、とたんに画面にしまりがなくなるのがうれしかった。
彼の描いた『ネコ右衛門太平記』。せつない漫画である。
主人公はビンボー侍。裏長屋のせんべい布団に寝起きする独り者。夜鷹すら抱けぬ懐具合の都市プロレタリアート。「身分柄」などと粋がってみても渡世にはなんのかかわりもない。旦那、割り勘で遊びましょうぜ、という町人どもにすらはじかれる始末。
つまりは除(の)け者である。よけい者である。こういう人間を昔は「娑婆ふさぎ」といったものだ。横丁のご隠居にしてしかり。だがまだご隠居は浮き世の潤滑油。それにすらなれない余り者にしか、しかし、見えない世界もある。滝田ゆうはそれをモノローグで描く。
木枯しの中で、御堂にこもる男女あり。わけありかと思えば、これがれっきとした夫婦(めおと)、九尺二間の長屋に姑がいては、思う存分、契りもかなわぬ。そこで人目をしのんで、ということになる。のぞき見てもよおし顔なるわがネコ右衛門、吉原(なか)へ繰り込むも不首尾に終る。愛し合う男女が「寒いときはこれにかぎるのう、ぬい」とハフーハフーすれば、ネコ右衛門は「寒いときはこれにかぎるってものだ」と屋台の湯気たつそばをハフーハフーすする。
住宅事情に泣かされる夫婦の哀感と、独り者の強がりと自嘲、二重の哀しみが胸に迫る。
滝田ゆうの描くのはいつもハレではなくてケの世界。
「べつにこれといってさしたる思案も浮ばぬ相も変わらぬ明け暮れである」
面白きこともなき世を面白くするのが好奇心てものだ。湯上りの一杯はこたえられまいと湯舟をざぶんと飛び出でる。外に出るとふるいつきたいようないい女。ヒマだからもちろんあとをつける。胸は高鳴っているはず……。しかし女の家にはちゃんと男が待っていて、女のために寒ブリの刺身を作る。「あとは粕汁でぐっとあったまるってやつよ」「おまィさんの包丁さばきには二度惚れだよゥ~ン」
当てられたるネコ右衛門みじめ。湯上りの一杯のはずが回り道して、ヘックション、「どうやら白いものがちらついてきやがった」というわけである。
おしなべて男女の交情がテーマであるのに、寅さんにも似て、ネコ右衛門はいつも振られ役。たまさか据膳のチャンスもあることはあるが、女は夢見心地に「新サン新サン」と好きな男の名をよび、あるは夫の浮気への当てつけの不倫だったり。結局、ネコ右衛門は主人公にはなれぬのだ。いつも代役、傍観する余り者。
だけど女にはやさしい。鼻緒はすげかえてやるし、身投げは後ろから抱きとめてやるし、雪中むしろを抱える夜鷹には「風邪ひくんじゃねえぜェ」と声をかけることを忘れない。春を売る女たちを描いて、読んでいる女の私がイヤな気がしないのは、滝田ゆうの目線が徹底的に低いせいだろうか。存在自体が覚束ない人間同士のあたたかみが伝わってくるせいか。……だんだんネコ右衛門がかわいくて抱きしめたくなってくる。とびきり母性愛をくすぐるタイプだろう。
それにしても、滝田ゆうの描く江戸は静かだ。川の水の流れ、風にゆれる柳。やらずの雨はサタサタと降り、屋台のソバ屋の灯が闇にほのめき、人間はヒタヒタと歩く。
「なんとはなしの現し世を、水の流れになぞらえて、なんとはなしに生きてはきたが――」、吹き出しがつい声になる。露伴の「浮世つめたき二月の嵐」や、天心の「遠慮めさるな浮世の影を、花と夢みし人もある」なんてざれ唄も漫画をみながら口の端にのぼってくる。「ああかくて今宵またしても飲まねばならぬこのつらさ」。酒はカポーカポーとつがれる。
静かでこそ、これだけの音風景が生きる。
『寺島町奇譚』をはじめ、現代物においても滝田ゆうの世界は静謐を保っている。
思えばだれが、下町をこんなに騒がしくしたのだろう。昨今の下町ブームとやらでは、レポーターはやたらな速さでしゃべりまくり、それにつられて町の人も「べらんめえ」を演ずる。大家族はしょっちゅう切ったはったを繰り返し、お節介と義理人情の押し売り、無闇と明るくて賑やかで軽っぽい世界。加うるに“健全な”家族イデオロギー……。
そんなはずはない。
以前、池波志乃さんと湯島のおでん屋でご一緒したことがあるが、そのときもこの話になった。寿司屋に客が入ってきて、板前があんなバカっぽい威勢で「らっしゃい」なんていうかっていうんだ。ちらりと目を上げてまたふと目を落す。その程度ではないか。それでこそ意地と色気とあきらめ、つまりは“粋”である。
「人情」なんてものを非歴史的に振り回さないでほしい。あれは「貧乏」が前提なんだから。田舎からどっさりとどいたおイモを自分ちだけで食べるわけにいかない。路地のみんなが見てるから。煮物や揚げ物のいい匂いをさせたら、配らないではおられようか。買うお金がないから、米やしょう油を貸し借りせざるを得なかった。それをいまさら「人情」なんていわれたってねえ。
それは滝田ゆうのいいたかったことだろう。だから彼は、昨今のテレビ局の手先と化した落語家レポーターのように、「下町人情ですねえ」などと紋切り型を乱発したりはしなかった。
江戸の名残り。想い出の東京。その下町の風情になくてはならぬ町並みとして、なにかにつけて“佃島”は引き合いに出されるけれど、おそらく地元の人々は、いいかげんうんざりしてるだろうと思う。地元の人にとっては、そこはごく普通の生活の場でしかないのだろうから、なにも今さら、風来坊がきいたふうなノーガキをたれる余地などないわけで……。――で、いうなれば、ぼかァ、ただモーローと、右へ行って、右へ行って……そのままスイーッてこう細い路地の奥へ……(『下駄の向くまま』)
ういういしくも冷めた目であった。
明治時代から続く店が建て替えになり、古い看板を捨てるという。歴史があるのに勿体ないですねえ、という私に、「そんなこというのは知らない人だけよ。この看板には姑にいじめられたうらみつらみ、明け方から夜中まで働いた私の涙がしみてるのよ。もう見たくもないわ」と女主人は語った。
滝田ゆうによれば、『寺島町奇譚』は「民主化以前の下町の明け暮れをうらみつらみをもって表現した」ものなのだ。寺島といえば色街玉の井の近く、彼自身の言葉を借りれば「場末」である。そこにはいま社会学者や区役所が称賛するような「下町の安定したコミュニティ」だの「健全な三世代家族」などがいたのだろうか?
いいや、未婚の母や、出戻りや、男やもめやいかず後家、戦争未亡人などが、貧しくもかばい合いながらそっと生きていたのではないだろうか。
昔、町に小芝居がくるとさ、と日暮里のジイサンはいった。女房連が旅役者に夢中になって、一座とともにカミサンも何人か消えたもんでね。根津のジイサンは路地奥の家を指さした。あそこのバアサンは昔、間借りの学生とできちゃってね。こっちのバアさんは番頭と駆け落ちしたことがある、昔の話よ。
見聞きしてもそのときはいわない。人の生き方を責めない。それとなく気配で察して助けの手を出す。それが下町である。
「魚屋はうちみたいな貧乏人の子沢山のためにアラを山盛りにして、持ってかない、とさりげなくいったもんだ。金持ちには切り身を高く売っといてさ。情けで人に報いる、それが情報ってもんじゃない?」
そんな東京はもはやない。ないけれども原風景とはそうたやすく捨てられるものでもない。滝田ゆうは半分うらみ、半分なつかしがりながらそれを紙の上に再現した。におう公衆便所、赤提灯の貼り紙、貧相な神社と野良犬、「抜けられます」の細い小路を描き込んだ。
喜怒哀楽すべて人間には必要なのに、なぜかいまの東京は喜と楽だけで作られる。泣ける隙間、怒りをとかす酒、恋人同士がひしと抱きあう隠れ場所。それがなくなってくると人間も喜と楽だけで作られる。陰影の濃い人間は生れず、擬似イベントばかり体につめたハッピーちゃんだけになる。
滝田ゆうは徘徊趣味、裏町趣味なのではない。趣味とは多くの場合、自分にないものへの憧れである。そうではなく、彼は小所低所にこだわり、裏町にそっと生きている人をいたわることを日常の思想としていたのである。
【初出】『滝田ゆう漫画館5』月報
【この解説が収録されている書籍】
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