広大な北米大陸を舞台に、1万数千年以上前から伝わるアメリカ先住民の創世神話、神々、精霊、勇者、死生観などについて180点の図版とともに紹介した書籍『[ヴィジュアル版]ネイティブ・アメリカン神話物語百科』から、「はじめに」を公開します。
生きている神話、語る大地
欧米で共通する偏見のひとつに、北米大陸の歴史は16世紀のヨーロッパ人入植から始まった、というものがある。この入植を土台として、近現代のアメリカ合衆国とカナダが成立したというのだ。だが、こうした出来事はほんの400年間に起きた出来事にすぎない。アメリカ先住民にはこれを凌駕する長い歴史がある。アメリカ先住民の物語、広大な北米大陸を舞台に演じられた物語は、はるか3万年前から1万6000年前までの間のどこかの時代にさかのぼる。古代の人間がベーリング陸橋(ベーリンジア)を渡ってシベリアから北米大陸北西部へ移動した時代のことだ。その後の数千年間、そうして新しく来た人々は、この氷に覆われた場所を足場に、アメリカ大陸全体に広がって部族のテリトリーを築き、地域ごとのアイデンティティを確立していった。
オーラル・ヒストリー
つまり、北米大陸に最初のヨーロッパ人入植者が上陸した時には、すでにアメリカ先住民は独自の長い歴史を持っていたのだ。しかし、その歴史も、そのなかで育まれた文化も、体系的に成文化されることはなかった。その代わりとして、生き生きと紡がれる口承のタペストリーが、神話や伝説や物語の数々を何百年にもわたって語り継いできた。それらはまさに生きている歴史だ。それぞれの物語に語り手のドラマと解釈が吹き込まれ、ぱちぱち燃えるキャンプファイアを囲んで夢中で聞き入る人々のために、プロットとキャラクターにひねりや変更がさかんに加えられた。同時に、語り手は物語の核となる細部や構造にはひたすら忠実であり続け、時代が移り変わろうとも、それをしっかりと正確に伝えてきた。
本書は、極寒の北部に住むトリンギット族から砂漠のアパッチ族にいたるまで、各地のアメリカ先住民の文化にある神話と伝説をテーマ別に幅広く集めた。こうした本の執筆、載せるべき物語を収集し選別するという作業を行うと、現在広まっている世界観とは大きく異なる世界観を目の当たりにすることになる。現代の都市では、たいてい物質主義と個人主義が否応なく私たちの考え方の土台となっている。スピリチュアリティを実践しようと思えば実践できるとはいえ、それは特定の信仰の場や、個人の宗教的行為、慌ただしい生活のさなかにある平穏な時間だけに限られがちだ。しかも、都市に住む人が大多数なので、その人生観も都市化されたかのように見えたり、まさしく都市化されていたりする。そして、自然はコンクリートとアスファルトに覆われてしまっている。
人と自然
それとは対照的に、アメリカ先住民の神話は自然と完全に融合している。その神話と伝説に結びつくものは、限りない大空と果てしない平原、なだらかにうねるツンドラ、青々と生い茂る森林だけだ。孤独なゴーストから偉大な天空の神々や叙事詩的な怪物にいたるまで、精霊が無数にいて、それらとの交流や交渉を試みる人々のそばに必ず存在する。人間界と自然は境界なくつながり、動物も植物も岩さえも同等のキャラクターとして物語に登場する。自然のあらゆる側面が生き残るための行動に関係し、生活の日々のリズムと季節季節のリズムと年々のリズムに関連する。そのためには、互いにコミュニケーションのバランスを取る必要があり、アメリカ先住民が語る神話と伝説は、そのバランスがいかにして取られたのか、いかにして乱れたのか、いかにして回復されたのかを語るものであることが多い。ただし、本書全体に見られることだが、自然と精霊の世界に対する彼らの高尚な意識にもかかわらず、ことヒューマニティについては、その神話と伝説はしっかり現実的だ。主要なキャラクターの多くは道徳的には微妙で、完全に善というわけでもなければ完全に悪というわけでもない。人生と同じだ。これこそ、アメリカ先住民の神話が現代の読者にも面白く感じられる理由のひとつだろう。人間であるということはどういうことなのか、という問題につながるため、現代の読者にも通じるものがある。キャラクターと自分を重ね合わせ、自分の人生の問題に対する答えを見つけることができるのだ。
[書き手]クリス・マクナブ(出版コンサルタント、ライター、編集者)
歴史、軍事史を専門とする著作家、編集者、出版コンサルタント。ウェールズ大学で博士号を取得。これまでに100点を超える著作を出版している。邦訳書に、『図説アメリカ先住民 戦いの歴史』、『[ヴィジュアル版]中世ヨーロッパ攻城戦歴史百科』、『図表と地図で知る ヒトラー政権下のドイツ』(以上、原書房)などがある。