コラム
黄色い丸椅子
私の育った家の前、動坂ストアの隣に創文堂という本屋があった。いまはビルに建て替えて自動ドアになったが、当時は都電の通りに向かって精一杯に開いた十坪もない店であった。あとの三面が本棚で、まん中には雑誌を並べる台、その頭の上に文庫本棚が吊るしてあった。
講談社のゴールデンブックスなどもこの店で買ったのだろうが、父に連れられてここで最初に買ってもらった記憶があるのはチャールズ・ラムの『シェイクスピア物語』である。表紙はカラーの美しい挿画で「ロミオとジュリエット」の絵だった。
帰ると、「一年生にはむずかしすぎるわよ。どしてこんなの買ったの」と母が父を責め、父は「まゆみがこれがいいというんだから」とモゴモゴ抵抗していた。
この本を何度、何十度、読んだろうか。マクベス、リア王、オセロ、アントニーとクレオパトラ、真夏の夜の夢、そして、一番好きなのは「ロザリンドとシーリア」こと「お気にめすまま」と「まちがいつづき」だった。この本のおかげで私はシェークスピア好きになり、のちに原文を買い込んだり、新潮社の福田恒存訳や、大昔の坪内逍遥訳まで引っぱり出して読んだものだ。この今井さんという店主は、私に本の世界を教えてくれた師匠であった。
おじさんは一番奥右手の小さな木の台の中に坐って、への字口で客の方を見るともなしに見ている。ときどきは羽根ぼうきで棚をパタパタやる。電車通りのほこりはすごく、頭の上の文庫本を梯子段をかけてとると、天にはかなりの砂ぼこりがたまっていることがあった。あのころの文庫本は今よりずっと天のカットが揃ってなくてほこりがたまりやすかった。そして岩波、角川、新潮いずれも活字は小さく、角が切れていることも多かった。そんな細かい活字の本をずいぶんたくさん買って読んだ。
今井さんはいつも各社の文庫本や新書のカタログをくれるので、私ははじから赤バツをつけて「教養としての読書」に励んでいたのである。少し本好きの人は誰でも中学・高校のころそうやって読みはしないだろうか。私の仕事の相棒、山崎範子も『破戒』とか『白鯨』とか『緋文字』とか『老人と海』などしぶい名作に詳しい。聞けばこれは中学生の夏休みの「新潮文庫の百冊」の成果なのである。彼女はいまになっても踊り忘れず、毎夏、地域雑誌の配達にいくときには、本屋でこの「新潮文庫の百冊」を貰ってきては、今年は何が入って何が落ちたか、など昼食時に箸の先をなめながらチェックに夢中である。
その昔、創文堂のおじさんに何か面白い本が出ましたか、と聞くと「おう、出た出た、河野多恵子の『回転扉』こりゃ評判いいよ」などといい、函入りの新潮書き下ろし文学選などを開いて見せてくれた。まあ坐んな、とニスで塗った黄色い木の丸椅子をすすめてくれ、私はつい二、三時間はすごすのだった。何を話したのかあらかた忘れてしまったが、井上靖の『額田王』とか三島由紀夫の『豊饒の海』福永武彦の『風土』や『廃市』、安部公房『砂の女』、大江健三郎や高橋和己、高校までに買ったのはほとんど創文堂にあった本で今井さんのおすすめが多い。夕方になると妹が信号を渡って「おねえちゃん、ごはんだって」と呼びにきた。
私が何か欲しい本があると今井さんは短冊に書いて、すぐヘルメットをかぶりスクーターにとび乗って江戸川橋の東販にとりに行ってくれた。
いまは注文を出すと面倒くさがる書店が多いのに、夢のようである。そして週に一回くらいはそのスクーターで父の診療所に『少年マガジン』や『週刊新潮』など待合室用の本、母の『ミセス』と『暮しの手帖』を届けにも来てくれた。
今井さんは岩波がひいきだ。買い取り制の岩波の本をあれだけたくさん置いてる店はめずらしい。いま、自動ドアのきれいな店になってもいわゆる町の書店としては雑誌、マンガ、学参の率は低い。入って左側の岩波コーナーには学術物から同時代ライブラリー、絵本までかなりの点数が置いてある。私たちの雑誌『谷中・根津・千駄木』で八年前に鴎外特集に取り組んだとき、今井さんは岩波に二十一巻選集の広告を出すよう頼んでくれ、そればかりか創文堂自身の広告も下さった。そこには「鴎外フェア実施中(9/20~10/31)鴎外選集岩波書店全二十一巻・残部僅少セット価二三四四〇円、文庫『青年』『雁』ほか」とある。いまとなると、海のものとも山のものともつかぬ町の雑誌によくあんなことまでして下さったなあ、とおもう。
ついでにいえば岩波コーナーの前にある〈吉本隆明・ばななコーナー〉というのが面白い。吉本さんは創文堂のお客なのだ。町の住民の私生活を書くのは気がさすが、買物籠にネギさした吉本さんを創文堂でお見かけしたことがある。創文堂の今井さんはかように情の濃い人だから、岩波ばかりか、隆明・ばなな親子の本も、一所懸命気を入れて一冊ずつ売ってるのである。もちろんお嬢さんの本の方がずっと売れちゃうそうだが。
こういう本への情の濃い本屋さんは少なくなった。『谷根千』の配達にいったヤマサキが「これ、今井さんがまゆちゃんのために取っといたんだから、って」と創文堂で本を買ってくる。すでに別のところで手に入れていたりすることもあるが、的確に私が読みそうな本が押えてあるところがちょっとコワい。坂の上に越して行かなくなった私をよく覚えていて下さった、とホロリとする。
【このコラムが収録されている書籍】
講談社のゴールデンブックスなどもこの店で買ったのだろうが、父に連れられてここで最初に買ってもらった記憶があるのはチャールズ・ラムの『シェイクスピア物語』である。表紙はカラーの美しい挿画で「ロミオとジュリエット」の絵だった。
帰ると、「一年生にはむずかしすぎるわよ。どしてこんなの買ったの」と母が父を責め、父は「まゆみがこれがいいというんだから」とモゴモゴ抵抗していた。
この本を何度、何十度、読んだろうか。マクベス、リア王、オセロ、アントニーとクレオパトラ、真夏の夜の夢、そして、一番好きなのは「ロザリンドとシーリア」こと「お気にめすまま」と「まちがいつづき」だった。この本のおかげで私はシェークスピア好きになり、のちに原文を買い込んだり、新潮社の福田恒存訳や、大昔の坪内逍遥訳まで引っぱり出して読んだものだ。この今井さんという店主は、私に本の世界を教えてくれた師匠であった。
おじさんは一番奥右手の小さな木の台の中に坐って、への字口で客の方を見るともなしに見ている。ときどきは羽根ぼうきで棚をパタパタやる。電車通りのほこりはすごく、頭の上の文庫本を梯子段をかけてとると、天にはかなりの砂ぼこりがたまっていることがあった。あのころの文庫本は今よりずっと天のカットが揃ってなくてほこりがたまりやすかった。そして岩波、角川、新潮いずれも活字は小さく、角が切れていることも多かった。そんな細かい活字の本をずいぶんたくさん買って読んだ。
今井さんはいつも各社の文庫本や新書のカタログをくれるので、私ははじから赤バツをつけて「教養としての読書」に励んでいたのである。少し本好きの人は誰でも中学・高校のころそうやって読みはしないだろうか。私の仕事の相棒、山崎範子も『破戒』とか『白鯨』とか『緋文字』とか『老人と海』などしぶい名作に詳しい。聞けばこれは中学生の夏休みの「新潮文庫の百冊」の成果なのである。彼女はいまになっても踊り忘れず、毎夏、地域雑誌の配達にいくときには、本屋でこの「新潮文庫の百冊」を貰ってきては、今年は何が入って何が落ちたか、など昼食時に箸の先をなめながらチェックに夢中である。
その昔、創文堂のおじさんに何か面白い本が出ましたか、と聞くと「おう、出た出た、河野多恵子の『回転扉』こりゃ評判いいよ」などといい、函入りの新潮書き下ろし文学選などを開いて見せてくれた。まあ坐んな、とニスで塗った黄色い木の丸椅子をすすめてくれ、私はつい二、三時間はすごすのだった。何を話したのかあらかた忘れてしまったが、井上靖の『額田王』とか三島由紀夫の『豊饒の海』福永武彦の『風土』や『廃市』、安部公房『砂の女』、大江健三郎や高橋和己、高校までに買ったのはほとんど創文堂にあった本で今井さんのおすすめが多い。夕方になると妹が信号を渡って「おねえちゃん、ごはんだって」と呼びにきた。
私が何か欲しい本があると今井さんは短冊に書いて、すぐヘルメットをかぶりスクーターにとび乗って江戸川橋の東販にとりに行ってくれた。
いまは注文を出すと面倒くさがる書店が多いのに、夢のようである。そして週に一回くらいはそのスクーターで父の診療所に『少年マガジン』や『週刊新潮』など待合室用の本、母の『ミセス』と『暮しの手帖』を届けにも来てくれた。
今井さんは岩波がひいきだ。買い取り制の岩波の本をあれだけたくさん置いてる店はめずらしい。いま、自動ドアのきれいな店になってもいわゆる町の書店としては雑誌、マンガ、学参の率は低い。入って左側の岩波コーナーには学術物から同時代ライブラリー、絵本までかなりの点数が置いてある。私たちの雑誌『谷中・根津・千駄木』で八年前に鴎外特集に取り組んだとき、今井さんは岩波に二十一巻選集の広告を出すよう頼んでくれ、そればかりか創文堂自身の広告も下さった。そこには「鴎外フェア実施中(9/20~10/31)鴎外選集岩波書店全二十一巻・残部僅少セット価二三四四〇円、文庫『青年』『雁』ほか」とある。いまとなると、海のものとも山のものともつかぬ町の雑誌によくあんなことまでして下さったなあ、とおもう。
ついでにいえば岩波コーナーの前にある〈吉本隆明・ばななコーナー〉というのが面白い。吉本さんは創文堂のお客なのだ。町の住民の私生活を書くのは気がさすが、買物籠にネギさした吉本さんを創文堂でお見かけしたことがある。創文堂の今井さんはかように情の濃い人だから、岩波ばかりか、隆明・ばなな親子の本も、一所懸命気を入れて一冊ずつ売ってるのである。もちろんお嬢さんの本の方がずっと売れちゃうそうだが。
こういう本への情の濃い本屋さんは少なくなった。『谷根千』の配達にいったヤマサキが「これ、今井さんがまゆちゃんのために取っといたんだから、って」と創文堂で本を買ってくる。すでに別のところで手に入れていたりすることもあるが、的確に私が読みそうな本が押えてあるところがちょっとコワい。坂の上に越して行かなくなった私をよく覚えていて下さった、とホロリとする。
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