書評
『春画と印象派 (”春画を売った国賊”林忠正をめぐって)』(筑摩書房)
ジャポニスムとは何だったのか?
タイトルの『春画と印象派』というのがおもしろい。浮世絵が印象派に絶大な影響を与えた、というのは美術史の一般常識だ。が、従来「浮世絵と印象派」というようにつなげられていたものを、あえて『春画と印象派』とズバリといいかえたことで見えてくるものがある。なぜ、日本の浮世絵が、西洋の美術を変えるほどのキッカケになったのか? なぜ西洋では芸術作品として高く評価されている「春画」が日本では、目かくしされてきたか?
いったい、どの程度に「春画」はヨーロッパに渡っているのか、どんな人が、どんな評価をしているのか。それらが、ていねいにしらべられて、ていねいに書き記されている。
たとえば、こんな具合だ。
ユイスマンスは1880年頃『幻想礼賛譜』の中で“日本の浮世絵”として次のように述べている。
『……僕の知っている、最も美しい版画は実に恐ろしい。それは蛸にのしかかられた日本の女である。浅ましい動物は吸盤で乳房を吸い、口をさぐり、一方では首が下腹部をすする。ピエロのように長い鉤鼻の女の顔をひきつらせた激しい不安と苦痛の表情、と同時に、その額や固くとざした死人のような眼からにじみ出るヒステリックな喜びはすばらしい!』
そして、すぐあとにユイスマンスには読めなかっただろう日本語の、書き入れが紹介されている。この文章とユイスマンスの高尚な書きぶりとの落差が笑える。
大蛸「いつかはキットと狙いすましていた甲斐があって、今日はとうとう捕らまえた。とてもむっくりとしたいい“ぼぼ”だ。(中略)」
海女「アレにくい蛸だのう、いっそアアア、アアア奥の子壺の口を吸われるので、息がはずんでアアア、エエエモウいく。そんな疣(いぼ)でフウフウ、空割れをいらいらとヲヲヲ、ヲヲヲ」
これはつまりこの絵の作者、葛飾北斎が書き込んでいるわけだけど、ここだけをとってみても、東西の文化の違いがくっきり浮かび上がる。
そしてそれは江戸人と現代日本人の文化の違いようでもある。
アンドレ・マルローは次のように言った。「印象派の人たちが浮世絵のよさを発見したのではない。浮世絵に心酔した青年たちの間から、印象派が生れたのだ」
当時のヨーロッパの青年たちは、春画の何に、それほど心酔したのだろうか。
この本のもう一つの柱は、副題にもある「林忠正」という人物の評伝である。この人物が西洋に日本の文化を橋渡しした。
林忠正を、単なる骨とう屋としたかった人々がいて、その人々は彼を“春画を売った国賊”と悪口したのだったが、彼がいなければ、ヨーロッパで「春画」は芸術として理解されていなかったのだった。
そして林忠正は、印象派を日本に橋渡しした人物でもあった。
「日本はわが国の兵器や産業に興味を持った。しかし、我々の芸術を理解し、心から愛したのは林忠正、唯一人である」(レイモン・ケクラン)
単なる春画の本ではなく、印象派そして近世から近代に及ぶ日本とヨーロッパの文化の問題として、この本を読んでほしい、とは著者の「あとがき」の言葉である。
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