書評
『悪い娘の悪戯』(作品社)
裏切り続けるヒロインの愛しさ
育ちの良い教養ある男が、美しく欲の深い娘に惚(ほ)れぬき、さんざん翻弄されて各地を巡りながら堕(お)ちてゆく……といったファム・ファタール(運命の女)物語は、ある意味、男性にとって極上の悪夢であり、陶酔を誘う永遠の夢なのだろうか。『マノン・レスコー』然(しか)り、『ロリータ』然り。バルガス=リョサは先行作『チボの狂宴』で、ドミニカ共和国の独裁者を題材にした政治サスペンスにラブストーリーの要素をまぶし、視点と時間をシャッフルするという技巧を駆使して、三人称多視点小説の大傑作に仕上げた。さて、作者初の「官能小説」と噂された本作『悪い娘(こ)の悪戯(いたずら)』は、それとは正反対のシンプルな構成と作風にして、これまた素敵(すてき)な傑作と言わねばならない。1950年代、ペルーのリマで語り手の「僕」は「チリ出身のリリー」と出会いぞっこんになる。やがて軍事政権が樹立、彼女は60年代のパリでは左翼ゲリラ兵士として「僕」の前に現れ、のちに外交官夫人となって舞い戻り、70年代のロンドンでは大富豪夫人に出世し、80年代の日本では怪しげな貿易商の愛人……と、このニーニャ・マラ(悪い女)は40年の間に次々に身元と名前を変え、「僕」から欲しいものを手に入れると行方をくらます。早くに両親を亡くしエグザイル(国外生活者)となった「僕」は、一言も寂しいなどと漏らさないが、その孤独は深い。背景にあるペルーの政情や革命運動、そしてヒッピー文化と学園紛争。それぞれの経緯のなかで相次いで親友を失っていく。さらに本作が心の最も暗い闇に分け入っていくのが、村上春樹作品に出てくる邪悪人のような日本人とニーニャ・マラとのおぞましい関係が描かれるあたりからだ。
ニーニャ・マラにかかれば、全ての人間関係は金銭あるいは生活保障を媒介として「授受」される。それをおめおめと赦(ゆる)すのは余程(よほど)のウツケというものである――。
ところが、ところが、しまいにはこの世界を股にかけた裏切り劇が、愛ゆえに意地を張り通そうとする壮大な「悪戯」だったように思えて、このヒロインが愛(いと)しくなってくるのだから、ああ、やっぱり「悪い娘」は怖い。バルガス=リョサも怖いほどうまい!
ALL REVIEWSをフォローする







































