書評
『外套・鼻』(岩波書店)
ドストエフスキーはかつて「我々は皆『外套』から生まれてきた」といった。ロシアの散文は、ゴーゴリ以後、民話の時代から小説の時代に入った。近代ロシア文学の黄金期それはロシア帝国の版図拡大と重なる。プーシキンもレールモントフもトルストイもコーカサスに従軍した兵士だったし、ドストエフスキーはシベリアの流刑者だった。ゴーゴリは小ロシアとも呼ぼれたウクライナから来た男だった。インテリと農民の出会い、都市と辺境の交通、ヨーロッパとアジアの交差が、ロシア語に折り込まれてゆく。
新調したばかりの外套を盗まれた下級官吏の絶望のなかに、ロシア人の無意識が顔を出す。外套を探しまわる主人公は無意識にペテルスブルグの街を測量している。そこには偉大な思想もなければ、崇高な理想もない。外套を盗まれたという現実だけが無意味に投げ出されている。その現実に押しつぶされて幽霊になった下級官吏は永遠に外套に執着し続ける。
この下級官吏を笑いながら、読者はふと気づくのである。これはオレのことだと。
【この書評が収録されている書籍】
新調したばかりの外套を盗まれた下級官吏の絶望のなかに、ロシア人の無意識が顔を出す。外套を探しまわる主人公は無意識にペテルスブルグの街を測量している。そこには偉大な思想もなければ、崇高な理想もない。外套を盗まれたという現実だけが無意味に投げ出されている。その現実に押しつぶされて幽霊になった下級官吏は永遠に外套に執着し続ける。
この下級官吏を笑いながら、読者はふと気づくのである。これはオレのことだと。
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