書評
『ドクター・ハック: 日本の運命を二度にぎった男』(平凡社)
善意のスパイ? 歴史への償い
日本がアジア太平洋戦争で破滅の道を辿った最大の要因は日独伊三国同盟への参加であったというのは左右どちらの歴史観にも共通の認識に違いない。アメリカを牽制しようとした日独の意図とは裏腹に、連合が結成され、アメリカも応戦したことで日本の命運は決まった。三国同盟に先立ち、日独防共協定締結の糸を引いていた武器商人、フリードリッヒ・ハックに焦点を当てた本書は、二・二六事件前後の外交交渉の楽屋裏を見せてくれる。表向きは十六歳の原節子をヒロインにした日独合作映画「新しき土」の制作に関わる文化使節的役割を演じながら、スターリンに日本政府の動向を報告していたスパイ、リヒャルト・ゾルゲとも接触していたハックは、三国同盟締結時に逮捕されるが、奇跡的に釈放され、反ナチスへと転向する。その後はスイスに亡命し、日米間の和平工作に関与する。日本語を話す事情通として、のちに講和条約締結時の米国務長官顧問になるダレスの実弟と交渉を進めるのだ。
ハックの和平工作が早期に奏功していたら、日本は原爆投下やソ連の参戦も免れていたかもしれないが、日本の軍人、外交官の多くは判断停止状態に陥り、最悪の結果を招いた。賭博的な戦争を始めるのは容易だが、終わりにするのは難しい。講和もアメリカとのあいだに成立しただけで、アジア諸国との講和も戦争責任もうやむやにされたまま歴史は繰り返されるのだろうか? 日本を破滅させた責任を取らなかった軍人、閣僚、外交官ら当事者たちと日本をナチスとの同盟関係に導いてしまった罪を個人的に償おうとしたスパイ、どちらが道義的だったかと聞かれれば、いわずもがな後者であろう。歴史の趨勢を読み誤れば、首相といえども、売国奴になり下がり、逆に異国のスパイに国家存亡の危機に救われることもあるとこの本は教えてくれる。
朝日新聞 2015年04月12日
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