書評
『私のつづりかた: 銀座育ちのいま・むかし』(筑摩書房)
ノブヲ少年の目がとらえた銀座の歴史と習俗の鮮やかさ
本書を開くなり度肝を抜かれたが、すぐ思い直した。だってあの小沢信男だもの。1927年生まれ、東京・銀座育ち。九十歳を目前にしたこんにちまで、六十余年にわたって執筆を続ける文筆家。その著作は俳句、詩、小説、エッセー、評論、ルポルタージュ……飄々(ひょうひょう)とジャンルをまたぎ、その仕事は誰にも真似(まね)のできぬものだ。たとえば『裸の大将一代記』は、放浪の画家山下清を描く画期的な評伝。『東京骨灰紀行』は大東京に埋もれた死屍累々、骨と灰を訪ね歩く希世の鎮魂記。読めば歯にかちんと石の当たる辛辣(しんらつ)さと毒、ユーモアや洒脱(しゃだつ)が共存し、独自のエスプリが全身にまわって虜になる。私もそのひとりだ。
いやしかし、驚いた。昭和十年、銀座・泰明小学校二年一組のオザワノブヲ少年の作文十七本、まもなく九十歳の「私」みずから一本ずつ詳細に読み解く、その奇跡。茶色い表紙の「私のつづりかた」帖は、学校から作文を持ち帰るたび、整頓癖のあった父が千枚通しで穴を開け、ていねいに凧糸で綴(と)じてくれた現物というのだから、これまた奇跡。八十二年の歳月ののち、驚異の記憶力によって蘇(よみがえ)るノブヲ少年の姿、父が営むハイヤー業、家族の暮らし、戦前の銀座の情景……行間から浮上する在りし日の東京は、ぞくぞくするほど鮮烈だ。
コノアヒダ、ウチノ人ト、花デンシャヲ、見ニイキマシタガ、人ガ大ゼイ、ヰルノデ、一バン、前ヘ、イッテ、見テ、ヰルウチニ、オ父サンガ(後略)
読点の続く歴史的かなづかい交じりの文面から、鉛筆を握る指のちからまで伝わってくる。家族総出で見物した、都大路を練り進む花電車。桜田通りをぞろぞろ歩き、新名所の国会議事堂を見上げた「トホクワイ」(徒歩会)。「カラス森ジンジヤ」の綴(つづ)り方から思い出す、「出会うとむらむらやる気にな」る縁日の記憶の数々は、そのまま習俗の記録である。「海軍記念日」「人形ノオツカヒ」「花火」「たかしまや」「ぐんがくたい」「年始廻り」……噛(か)むようにして読んでいると、ノブヲ少年の目玉の動きをじかに味わう。幼いながら、好奇心いっぱいに動かすじわりと入念な目玉が小沢信男という作家の源流なのだった。「ツマラナイ」の文言や「慰問文」のそっけなさにも、にやり。
それにしても、銀座という街は、かくもなまなましい歴史との接合点であったのだ。山梨から上京した父が免許証を取得、銀座西八丁目に独立のしるし「虎屋自動車商会」を開業、職住一体、ハイヤー四台を所有し仕事に邁進(まいしん)。しかし昭和十三年、前年に勃発した日中戦争によってガソリンが払底、閉店を余儀なくされ「わずか八年後に落城」、一家は銀座をあとにする。泰明小学校に通いながら、ノブヲ少年は、銀座という窓から社会の、世間の風を肌で感じてきた。小学三年生のとき、ランドセルをしょった少年は阿部定事件にも「感銘」を覚えたという。
綴り方にくわえ、図画二十三枚も収録。満八歳のとき描いた「戦場」は、鉄条網をはさんで小銃を構えた兵士たちが伏せの姿勢で対峙(たいじ)。ノブヲ少年は、戦争とはまさに生身の人間の命の奪い合いであると看破していた。
書いた、描いた当人でなければ蘇ることのない無尽蔵の記憶。懐旧の情にも感傷にも流されない、時代のすみずみを見据える視線のつよさに圧倒される。
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