書評
『収容所のプルースト』(共和国)
極限下で語る記憶の文学
著者のチャプスキはポーランドの画家・批評家である。彼は1924年、パリへ赴き、プルーストの本に出会う。それはプルースト(1871~1922年)の死後、「失われた時を求めて」最終巻の刊行(27年)に向けて、途中の巻が次々に出版されていた時期に当たる。
最初はプルーストの延々と続く社交界の描写などになじめなかったチャプスキだったが、26年、チフスで療養中にプルーストの魅力に目覚めてからはひたすらその世界にのめり込んでゆく。
本書はそれから10年以上たった40年に、ソ連の収容所に収監されたチャプスキがフランス語でつづったプルーストの講義ノートが基になっている。
39年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻してすぐに、ポーランド軍将校だった彼はソ連軍に捕らえられ、収容所に送られる。方々の収容所に入れられたあまたの捕虜たちがソ連の秘密警察の手で殺されたいわゆる「カティンの森事件」を奇跡的に逃れた数少ない将校の一人。それがチャプスキだった。
彼らは、極限状態の収容所にあって、それぞれの得意分野を仲間に講義することにより、明日をも知れぬ日々の中で人間的尊厳を保とうとする。
チャプスキが選んだテーマは絵画と文学、なかでも若き日に愛読したプルーストだった。とはいえ、収容所にプルーストの作品などあるはずもない。彼はすべて記憶だけで、時間と記憶と芸術を主たるテーマにした十数冊に及ぶ「失われた時を求めて」の魅力を解き明かし、必要とあらば細部まで可能な限り正確に引用しながら作品の魅力を語り尽くす。彼のプルースト講義は、小説の世界とは隔絶した現実を生きざるを得ない収容所の人々の魂をも揺り動かし、生への意志を奮い立たせた。
人は文学をどこまで自身の人生の問題として記憶を通じて心に刻みつけることができるのか。
本書は文学が人間の救いになり得ることを証明した貴重な一冊である。