書評
『ナチスから図書館を守った人たち:囚われの司書、詩人、学者の闘い』(原書房)
ナチスは迫害を正当化するため、ヨーロッパ全土のユダヤ人から蔵書や文化的財産を略奪し、ドイツ国内のユダヤ民族研究図書館へと移送した。
しかし、ドイツに送られるのはほんの一部。残りの大半は焼却され、神聖なトーラーの巻物はナチス兵の革靴に再利用された。
本書は、最も激しいホロコーストがあったポーランド領ヴィルナで、自分たちの文化が踏みにじられるのを許すまいとした通称「紙部隊」――知識人ら40名のユダヤ人たちが命をかけて闘った、知られざる歴史の記録である。
全米ユダヤ図書賞を受賞した本書の「訳者あとがき」を紹介する。
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バルト海に面した国、リトアニアはリトアニア王国となって以来、ポーランド、ロシア、ソビエトに次々に侵略され支配されるという数奇な運命をたどってきた。ようやくリトアニア共和国として独立したのは、一九九〇年になってからだった。
第二次世界大戦のときはナチス・ドイツに攻撃され、戦後はドイツを撃退したソ連の支配下に入り、リトアニア・ソビエト社会主義共和国となった。
本書『ナチスから図書館を守った人たち』は、ナチス・ドイツに占領されたリトアニアの首都ヴィルナ(現在のヴィリニュス)で、ナチスに迫害されたユダヤ人たちが、ユダヤ民族の文化を守り、次世代に継承していこうとして命懸けで奮闘する姿を描いたノンフィクションである。
もともとヴィルナはリトアニアのエルサレムと呼ばれ、ユダヤ人口が多かった。ヴィルナを占領したナチスは市内にゲットーを作り、ユダヤ人を閉じこめると同時に、全国指導者ローゼンベルク特捜隊(ERR)という美術品や文化遺産の略奪をおこなう部隊を送りこみ、ユダヤ民族の文化を略奪しようとする。
ヴィルナ市内のいくつもの図書館の本や記録書類は、マックス・ヴァインライヒらが設立したイディッシュ科学研究所、YIVOの建物に集められ、ドイツに送るか廃棄されることになった。
本文中に出てくるが、聖書によると神が最初のユダヤ人アブラハムをお創りになったとき、「人生の旅のために彼にふたつの贈り物をした。ひとつは本で、もうひとつは剣だった。アブラハムは左右の手にひとつずつそれを持った。しかし、アブラハムは本を読むことにすっかり魅了され、手から剣が滑り落ちたことにも気づかなかった。その瞬間から、ユダヤ人は本を好む民族になった」と言われている。
YIVOで本の選別のために雇われたユダヤ人たち、通称〝紙部隊〟も、何より本を愛する人々だったので、ナチスに本を略奪され、廃棄されることに、胸が引き裂かれるようなつらさを味わう。
しかし、彼らはナチスに言われるがまま、おとなしく奴隷労働に従事したわけではなかった。
ナチスの目を盗んで、ユダヤ人の文化を守るために、稀覯本や有名作家の原稿や手紙や日記をこっそりと盗みだして隠そうとするのだ。
だが、いまや占領されたヴィルナでは本はナチスの所有物で、本を持ちだすことはすなわち盗みだった。おまけにゲットーに何かを持ち込むことは固く禁じられていた。ゲットーの検問所で身体検査をされ、食べ物が発見されて激しく殴打されたり刑務所にぶちこまれたりする住人は跡を絶たなかった。
しかし、命の危険を冒して紙部隊がゲットーに持ちこんだのは、本だったのである。
主人公の一人、スツケヴェルが語っているように「YIVOの宝物を救うことは、先祖からしっかりと受け継がれた義務感から、赤ん坊を救っているも同然の善行(ミツバー)をほどこさねばならないという思いから、おこなわれた」のである。
本書の主人公は詩人のシュメルケ・カチェルギンスキとアヴロム・スツケヴェルという二人の青年だ。彼らは〈若きヴィルナ〉という文学グループで知り合ってからずっと固い友情で結ばれてきた。
お調子者のにぎやかなシュメルケと、静かな学者肌のスツケヴェルは、水と油のように個性がちがっていたが、その二人の強い信頼関係も本書の読みどころである。
アヴロムの妻もいっしょに三人でパルチザンとして森で過ごしたときは、一丁しかない拳銃をシュメルケはアヴロムに譲った。「どちらか一人の命を救うとすれば、きみだ、アブラシャ。きみの方が偉大な詩人だからね。きみの方がユダヤ民族に貢献できるよ」この言葉はみんなに愛されたシュメルケの人柄を表していて、胸が熱くなった。
またシュメルケは紙部隊の仲間であるロフル・クリンスキーと恋に落ちる。戦時中から戦後にかけて続いた二人の関係も、戦争がなかったらどうなっていただろうと考えさせられ心に強く刻まれた。
さらに印象的な登場人物として、学者でYIVOの副所長だったゼーリグ・カルマノーヴィチと司書のヘルマン・クルクがあげられるだろう。
カルマノーヴィチは本の選別と廃棄の作業が終わりに近づいたとき、「何千冊もの本がゴミとして廃棄され、ユダヤ人の本は姿を消すだろう。救うことができたものの一部は、神のご加護があれば生き延びるはずだ。自由な人間として戻ってきたときに、わたしはそれを目にするだろう」とゲットーの預言者と言われている彼らしく、日記に書きつけた。
著者のデイヴィッド・E・フィッシュマンは綿密な調査に基づき、登場人物一人一人を存在感たっぷりに生き生きと描きだすことに成功している。戦争の苛酷な運命に翻弄されたそれぞれの人生の末路が、静かに胸に沁みた。
[書き手]羽田詩津子(翻訳家)
しかし、ドイツに送られるのはほんの一部。残りの大半は焼却され、神聖なトーラーの巻物はナチス兵の革靴に再利用された。
本書は、最も激しいホロコーストがあったポーランド領ヴィルナで、自分たちの文化が踏みにじられるのを許すまいとした通称「紙部隊」――知識人ら40名のユダヤ人たちが命をかけて闘った、知られざる歴史の記録である。
全米ユダヤ図書賞を受賞した本書の「訳者あとがき」を紹介する。
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バルト海に面した国、リトアニアはリトアニア王国となって以来、ポーランド、ロシア、ソビエトに次々に侵略され支配されるという数奇な運命をたどってきた。ようやくリトアニア共和国として独立したのは、一九九〇年になってからだった。
第二次世界大戦のときはナチス・ドイツに攻撃され、戦後はドイツを撃退したソ連の支配下に入り、リトアニア・ソビエト社会主義共和国となった。
本書『ナチスから図書館を守った人たち』は、ナチス・ドイツに占領されたリトアニアの首都ヴィルナ(現在のヴィリニュス)で、ナチスに迫害されたユダヤ人たちが、ユダヤ民族の文化を守り、次世代に継承していこうとして命懸けで奮闘する姿を描いたノンフィクションである。
もともとヴィルナはリトアニアのエルサレムと呼ばれ、ユダヤ人口が多かった。ヴィルナを占領したナチスは市内にゲットーを作り、ユダヤ人を閉じこめると同時に、全国指導者ローゼンベルク特捜隊(ERR)という美術品や文化遺産の略奪をおこなう部隊を送りこみ、ユダヤ民族の文化を略奪しようとする。
ヴィルナ市内のいくつもの図書館の本や記録書類は、マックス・ヴァインライヒらが設立したイディッシュ科学研究所、YIVOの建物に集められ、ドイツに送るか廃棄されることになった。
本文中に出てくるが、聖書によると神が最初のユダヤ人アブラハムをお創りになったとき、「人生の旅のために彼にふたつの贈り物をした。ひとつは本で、もうひとつは剣だった。アブラハムは左右の手にひとつずつそれを持った。しかし、アブラハムは本を読むことにすっかり魅了され、手から剣が滑り落ちたことにも気づかなかった。その瞬間から、ユダヤ人は本を好む民族になった」と言われている。
YIVOで本の選別のために雇われたユダヤ人たち、通称〝紙部隊〟も、何より本を愛する人々だったので、ナチスに本を略奪され、廃棄されることに、胸が引き裂かれるようなつらさを味わう。
しかし、彼らはナチスに言われるがまま、おとなしく奴隷労働に従事したわけではなかった。
ナチスの目を盗んで、ユダヤ人の文化を守るために、稀覯本や有名作家の原稿や手紙や日記をこっそりと盗みだして隠そうとするのだ。
だが、いまや占領されたヴィルナでは本はナチスの所有物で、本を持ちだすことはすなわち盗みだった。おまけにゲットーに何かを持ち込むことは固く禁じられていた。ゲットーの検問所で身体検査をされ、食べ物が発見されて激しく殴打されたり刑務所にぶちこまれたりする住人は跡を絶たなかった。
しかし、命の危険を冒して紙部隊がゲットーに持ちこんだのは、本だったのである。
主人公の一人、スツケヴェルが語っているように「YIVOの宝物を救うことは、先祖からしっかりと受け継がれた義務感から、赤ん坊を救っているも同然の善行(ミツバー)をほどこさねばならないという思いから、おこなわれた」のである。
本書の主人公は詩人のシュメルケ・カチェルギンスキとアヴロム・スツケヴェルという二人の青年だ。彼らは〈若きヴィルナ〉という文学グループで知り合ってからずっと固い友情で結ばれてきた。
お調子者のにぎやかなシュメルケと、静かな学者肌のスツケヴェルは、水と油のように個性がちがっていたが、その二人の強い信頼関係も本書の読みどころである。
アヴロムの妻もいっしょに三人でパルチザンとして森で過ごしたときは、一丁しかない拳銃をシュメルケはアヴロムに譲った。「どちらか一人の命を救うとすれば、きみだ、アブラシャ。きみの方が偉大な詩人だからね。きみの方がユダヤ民族に貢献できるよ」この言葉はみんなに愛されたシュメルケの人柄を表していて、胸が熱くなった。
またシュメルケは紙部隊の仲間であるロフル・クリンスキーと恋に落ちる。戦時中から戦後にかけて続いた二人の関係も、戦争がなかったらどうなっていただろうと考えさせられ心に強く刻まれた。
さらに印象的な登場人物として、学者でYIVOの副所長だったゼーリグ・カルマノーヴィチと司書のヘルマン・クルクがあげられるだろう。
カルマノーヴィチは本の選別と廃棄の作業が終わりに近づいたとき、「何千冊もの本がゴミとして廃棄され、ユダヤ人の本は姿を消すだろう。救うことができたものの一部は、神のご加護があれば生き延びるはずだ。自由な人間として戻ってきたときに、わたしはそれを目にするだろう」とゲットーの預言者と言われている彼らしく、日記に書きつけた。
著者のデイヴィッド・E・フィッシュマンは綿密な調査に基づき、登場人物一人一人を存在感たっぷりに生き生きと描きだすことに成功している。戦争の苛酷な運命に翻弄されたそれぞれの人生の末路が、静かに胸に沁みた。
[書き手]羽田詩津子(翻訳家)
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