書評
『I LOVE 過激派』(彩流社)
八〇年代という寂しさと哀しさ
『I LOVE 過激派』を読む
小説『なんとなく、クリスタル』(田中康夫)が『文藝』に掲載されたのが一九八〇年。日本がバブル景気に向かう頃である。だが、そんな時代に過剰に抗う若者たちもいた。「カラマーゾフの問い」――人類の生の意味と目的は何にあるのか――に駆られた若者たちが。本書(早見慶子『I LOVE 過激派』彩流社、二〇〇七年)は、公安警察から中核派や革マル派と同様に過激派に分類された、戦旗派の活動家として三里塚闘争を戦い、警察に追われ、内ゲバをしのぎ、自殺の手前までいった女性によるノンフィクションである。
彼女が戦旗派の活動家になるきっかけは偶然そのものだった。女友だちと新宿をぶらついていたときのこと。署名活動をしている一団と会話することから始まった。「活動家にしては端正な容姿」「表情も穏やかで、ピリピリした近寄りにくさがない」男に、彼女は強く印象づけられる(三六頁)。以後、それが運命の男となる。忍耐強く、実行力があり、しかも繊細な気遣いのある「美しい存在」として。革命と恋愛で生が充満した日々⋯⋯。
しかし、男はやがて同じ活動家の別の女性と結婚する。彼女は幹部との確執のため、組織から脱出する。組織との絆を断ち、無一文で公園で寝泊りの生活をする。文章はやや粗削りだが、アジト生活の細部に臨場感がある。当人たちが真剣なだけに、思わず笑ってしまう議論もある。アイスクリームを食べるのはアメリカ帝国主義的だと批判されたり、野菜の種類が少なく、栄養バランスが悪いと、アジト生活での料理番の彼女がなじられたりする場面などに。
本書は、『なんクリ』のどこまでも透明な女子大生とは対極の熱い生の記録である。にもかかわらず、なぜか本書の「私」に、『なんクリ』の女子大生に感じたものと同質の寂しさと哀しさを感じてしまうのである。
週刊東洋経済 2008年5月310日号
1895(明治28)年創刊の総合経済誌
マクロ経済、企業・産業物から、医療・介護・教育など身近な分野まで超深掘り。複雑な現代社会の構造を見える化し、日本経済の舵取りを担う方の判断材料を提供します。40ページ超の特集をメインに著名執筆陣による固定欄、ニュース、企業リポートなど役立つ情報が満載です。
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