自著解説
『ボッティチェッリ全作品』(中央公論美術出版)
美術研究を支える仕事
『ボッティチェッリ全作品』を世に送り出すことができて、ようやく長いあいだの宿題のひとつを果たしたというのが、今の正直な思いである。私が以前に中央公論社から『ヒエロニムス・ボッス全作品』を刊行したのは、一九七八年のことである。その時、次はボッティチェッリをやりましょうと編集部と話していたのだから、今回の実現までに四半世紀以上の歳月が経過したことになる。ひと口に「全作品」と言っても、そのすべてについて必要な調査を重ね、カラー図版で充分鑑賞に耐えるかたちで刊行するというのは、容易なことではない。第一に、取り上げるべき作品を決定するのが一筋縄ではいかない。明らかにボッティチェッリの手になる真作の場合はあまり問題はないが、それ以外に、弟子との共作、工房作、さらには専門の研究者のあいだでも意見が分かれている問題作も少なからずある。
個々の作品についても、素材、大きさ、修復の有無などの現状確認のほか、その来歴、研究成果など、多くの資料を参照しなければならない。作者その人の生涯や作品の歴史的位置づけも当然必要である。今回は私一人の手には負えないので、鈴木杜幾子氏と共同編集ということにして、作品の解説には新進気鋭の京谷啓徳氏の協力を得た。
実際の出版にあたっては、世界中に散在している作品の取材をすることがまた大変である。特に今回の場合、代表作「春」をはじめ、多くの作品が洗浄、修復によって面目を一新したので、改めて写真撮影を依頼するなど、編集部にも大きな苦労をかけた。それだけ苦労を重ねた結果、図版の出来栄えも、多くの外国での画集と比べて、少しも遜色のない見事なものになったと思う。
中央公論社版の「全作品シリーズ」は、ほかにもフェルメール、ファン.エイク、ブリユーゲル、ヴァトーなどがあるが、いずれもその時点における最新の成果を取り入れた優れたものである。
このような基礎的な資料集は、鑑賞のためばかりでなく、研究や作品の公開展示のためにも、なくてはならないものである。そのため、国際的にもさまざまの試みがなされているが、第二次大戦後、いち早くこの野心的な企画と取り組んだのは、イタリアのリッツォーリ社であった。これは主としてイタリアの画家、彫刻家を対象としたもので、当初は日本の新書版ほどの小型の判型で、図版もほとんどが白黒写真だが、内容はきわめて充実していた。
例えば、今手許にある『ペルジーノ全絵画作品集』は、本文百九十ページ、図版二百三十一ページで、合計四百ページを越す分厚いものである。その後、このリッツォーリ版は、判型を大型化し、カラー図版も増やして現在も刊行を続けている。フランス語版、英語版もあり、一部は日本語版も出版された。
現在の出版不況のなかでは、このような基礎的事業は容易ではないであろうが、文化の発展のために何らかのかたちで今後も続けられることを望みたい。
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