書評
『舞踏会へ向かう三人の農夫 上』(河出書房新社)
絶対値としての若さ
アウグスト・ザンダーが一九一四年に撮影した写真の中の一枚に、シルクハットをかぶり、ステッキを持った三人の農夫が写っている。ぬかるんだ雨上がりの農道の真ん中で立ち止まり、彼らは右手後方に位置する写真機のレンズを見つめているのだが、賑やかな街路ならともかく、周囲になにもない場所でなぜこんな正装をしているのか。背景と奇妙なよじれを起こしている三人の強靱な眼差しは、ザンダーという名を持つ写真家の個性を無傷で通過して、彼らを印画紙のうえで見つめている私たち自身の瞳へ、まっすぐに伸びてくる。この写真が発している異様な力を、ベンヤミン、バルト、ソンタグ、バージャーなどの理論を借りて分析したり、あるいはもっと単純に、右に二、左に一の微妙なバランスで画面を占めている男たちの人生を想像したりするのは、かならずしも独創的なことではない。一枚の写真、一枚の絵はがき、一枚のポスターから言葉を紡ぎだしていく手法は、一九六〇年代なかば以後のクロード・シモンやロブ=グリエなど、フランス系ヌーヴォー・ロマンの作家によってさんざん試みられてきたものだからである。
だが、知識の披瀝やまとまりのいい物語の創作にとどまらず、二十世紀全般を特徴づける知と殺戮の記憶のすべてを混在させ、それを明晰に、かつユーモアをもって語り尽くす大業は、もはやフランスの属性ではなく、ピンチョン以後のアメリカの財産目録に移管されたのだった。それを証明する最大の事例のひとつが、リチャード・パワーズの第一作『舞踏会へ向かう三人の農夫』なのである。
ザンダーが記した第一次世界大戦勃発の年を出発点に、作者は、三人の農夫の現在進行形における青春小説的な道行きと、彼らの子孫のひとりによる自身を遡っての「複製」探し、つまり「私」探しのバーレスクな物語を交互に展開し、合間に精緻な写真論や、ヘンリー・フォード、サラ・ベルナールら、自己イメージの再生産につとめた二十世紀的存在たちのエピソードを挿入してみせる。そのミステリーふうの構成と逸脱のバランス、章の主題にふさわしい文体の跳躍が、作品を小さくしない方向で完璧に機能しているのはじつに驚くべきことだ。
ここには、生物学的な年齢とは無関係な、絶対値としての若さが漲っている。見る者、読む者の現在をつねに反映し、時間の流れの先で私たちを待ち受けている舞踏会を、この若さはたぶん幾度となく反復していくだろう。
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