書評
『I was born―ソウル・パリ・東京』(松柏社)
小さな差異
差異は小さければ小さいほどわかりにくい。明確に説明することはできないけれど確固としてある、かすかな皮膚の痛みにも似た感覚。しかし小さくて微妙な差異こそ、じつは決定的に大きなずれを生み、同時に理解への扉を開いてくれるものだ。ソウルに生まれ、写真を学ぶために留学したパリで日本人男性と結ばれて、現在は東京に住む著者がはじめて日本語で書きあげた本書には、厄介で、かついとおしい奇妙な痛みの感覚が、いたるところで顔を出す。少女時代には楽しく遊ぶこともあったふたりの兄たちとの、海外に出るとき娘の写真を携行してくれたやさしい父との、かつては洋服の趣味まで一致していた母とのあいだに、徐々に生じてくる齟齬(そご)。
そうした身近な存在の変容を頭ごなしに否定せず、いとおしさを伴う痛みに留め得ているのは、異境での体験があるからだ。たとえばパリ。あの街には東洋人として一括される人間がいる。日本人も韓国人も台湾人も中国人もひとまず東洋人になり、自身が属している血や国籍や歴史や言語にまとわりつく背景が消されて、似たもの同士になる。紋切り型のイメージにとらわれることなく、冗談まじりに本質的な批判も口にできるのだ。
問題は、その先にある。有益な差異がなんとか見えてくるのは、「異なるとしても、それは国が違うからではなく、一人ひとり個人が違うからなのだ」との思いにたどり着いたあとのことだからだ。日本で暮らすようになっても、著者はなにが正しくてなにがまちがっているのか、安易に白黒をつけない。ひたすらその差異に感覚を研ぎ澄ます。
だから「人は、自分の経験していない世界に対して、どれほどの理解を抱くことができるのだろうか」という自問への完璧な答えはない。あるのはただ、三つの都市で生きたのち、「ナニジンである前に、私でありたい」と日本語で記し、それを華美でない映像で支える書き手の眼差しだけである。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 2001年9月2日
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。
ALL REVIEWSをフォローする









































