書評
『沖縄からの本土爆撃: 米軍出撃基地の誕生』(吉川弘文館)
軍民なき米軍攻撃の実態
米軍の沖縄進攻作戦「アイスバーグ作戦」は、日本本土進攻に向けた拠点の確保にその目的があった。だから二つの飛行場に近い読谷(よみたん)・嘉手納(かでな)の海岸に最初に上陸したし、住民を収容所に隔離して無人となった土地を次々と飛行場など軍事施設に作り替えていった。本書は、沖縄上陸後の米軍が沖縄の各地に飛行場を建設し、それがどのように運用されたのかを明らかにしている。筆者は米軍資料や各地の空襲体験証言など幅広い資料を用いて紹介しているが、そこから明らかになったのは沖縄発進の米軍機による本土爆撃の規模の大きさと、一般市民の犠牲もいとわない容赦ない無差別爆撃の実態だった。
沖縄に配備された戦闘機や爆撃機による作戦は、沖縄本島で米軍に対峙(たいじ)する日本軍への攻撃や沖縄に向かって来る特攻機の迎撃に始まり、それはやがて奄美(あまみ)諸島や石垣・宮古、そして九州各地への爆撃へと移っていく。加えて哨戒(しょうかい)機による海上の船舶への攻撃も行われた。標的になったのは軍需工場や飛行場などの軍事目標だけではない。道路や鉄道といった生活インフラや、およそ軍事目標とは思えない漁船、集落、そして民間人までも攻撃の対象になった。
筆者は米軍将校の「日本の全住民は適切な軍事目標である。日本に民間人はいない」と述べたことを引用し、義勇兵役法(ぎゆうへいえきほう)が制定施行されて17歳の少年や女性までも戦闘員として加えることができるようになった日本に対して、米軍はもはや軍民を問わない無差別爆撃の思想を示してそれを実行していたと説明している。
日本本土の全域を爆撃範囲に収める戦略爆撃機B-29の沖縄配備が始まった8月、日本は降伏して戦争は終わる。しかし本書でもエピローグとして述べられているように、こうして作られた沖縄の基地が朝鮮戦争やベトナム戦争を経て米軍の出撃拠点として維持され続けているのは今日に至るまで変わらない。
いま目の前に広がる「基地オキナワ」の姿とは何なのか、そのことを考える上でも本書が示す視点の意味は決して小さくない。
[書き手] 伊佐 真一朗(沖縄国際大学非常勤講師)
ALL REVIEWSをフォローする







































