書評
『日本の食文化史年表』(吉川弘文館)
外来文化と飢饉が変えた「食」の体系をたどる
食の文化は時代とともにあり、地域とともにある。したがって食文化の歴史を探ってゆけば、時代がわかり、地域がわかる。政治・経済・社会・文化それらすべてに関わるのが食の問題である。それだけに食文化の年表は他の年表には見られない豊かさがあるが、また難しさもある。文献にはあっても、それがいつ始まったのかを特定することが難しい。史料が実に多様であって、不確かなものが多く、しかも広がりがあるので、どこまで収集の幅を広げればよいのか迷う。そうした困難さを乗り越えて、作成されたのが本書である。
二年前に発刊された、本書の編者の手になる『日本食物史』(吉川弘文館刊)を読んだ時、年表がさらに充実していたならば、と思っていたが、こうした形で出版されたことを喜びたい。三百六十頁に及ぶ本書は実に期待にこたえるものである。
できるだけ多くの情報をということで、出典のあやしいものや、企業の宣伝臭いものまでとっていたり、企業のホームページまで参照したりしているが、これは賢明である。出典がしっかり記されているので、その記事をどう判断するかは読者にまかせればよいこと。諸所に挿絵があって記事の理解を助ける工夫が、年表の味気なさを救ってくれるのもよい。参考文献・図版・索引がしっかりしていて、使いやすい年表となっている。
そこでページをめくってゆくと、気づくのは、外来の文化の導入が食文化にあたえた影響の大きさである。大陸文化や西欧文化の導入とともに、新たな食の文化が流入し、それまでの食文化に影響をあたえるとともに、食の新体系がうまれてきた。
たとえば律令制の導入とともに大陸の食文化が入ってくるなか、日本列島の各地で特産物が生まれ、『延喜式』に認められるような体系が生まれたのである。
鎌倉時代になると、禅宗を始めとする大陸の文化とともに、唐膳の文化が流入してきて、延慶元年(一三〇八)には鎌倉幕府の有力者たちが豪華な唐膳の食事を事あるごとにしていると奉行人が批判しているほどである。ただ本書がこの記事をとっていないのはやや残念である。
総じて古代や中世の記事がやや弱いが、それは致し方ないことであろう。食文化は考古学の発掘の成果や絵画史料により知られる場合が多く、これらを年表の形ではなかなか表しにくいからである。
その点でこまめに拾っているのが飢饉や災害の記事であるが、これと食文化の関係には考えさせられるものがある。飢饉や災害によって食の習慣には変化が生まれた。気候変動に強い食物や非常時に有用な食が求められ、それが長続きして今の食文化に繋がっていることが多い。よく知られるのは享保十七年(一七三二)の飢饉とともに広がったサツマイモの栽培であって、やがて江戸のファストフードとして定着していった。
だが飢饉によって食が質素になったものと誤解してはならない。その三年後に京都では料理茶屋が繁盛しているのだ。
食は祭礼と深く関わっていた。祭りは神を喜ばせ神の力を強めることで、神に災害を防いでくれるものと期待していたから、その神に捧げる食事も豪華でなくてはならなかった。その食事を神とともに共食するのである。新たな食は飢饉とともにあったということになろう。
本書の記事を読み込んでゆくと、食文化がいかに奥の深いものであることかがわかってくる。作成にあたった編者の労に感謝したい。
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