書評
『村上春樹のなかの中国』(朝日新聞社)
明治時代以来、村上春樹ほど海外で広く読まれた作家はない。中国では正式に刊行された作品だけでも三百五十万部を超えたという。膨大な数の海賊版や一冊の回覧数を考えると、おそらく中国人読者のほうが日本を凌ぐであろう。
近代に入って今日にいたるまで、欧米や日本をはじめ、世界の数え切れないほどの作家が中国に紹介され、無数の作品が中国語に翻訳された。なぜ、ひとり村上春樹だけがこれほど多くの読者を獲得したのか。そもそも中国での爆発的な人気は、どのような過程をたどって形成されたか。誰もが興味を持つ問題だが、これまで断片的な言及があっても、全面的に検討されることはなかった。本書によって、中国語圏における村上春樹の読書史がはじめて明らかになった。香港や台湾さらに欧米での受容を視野に入れることで、村上春樹現象がなぜ起きたかが、よりわかりやすくなった。
東アジアに広く見られる村上春樹現象について、著者は「受容四大法則」という説を立てた、その一つが「時計回りの法則」で、一九八五年、中国語圏において村上春樹はまず台湾で初期の作品群が紹介され、まもなく香港でヒットし、さらに大陸でも翻訳されるようになった。『ノルウェイの森』(講談社)の場合も、まず一九八九年に台北で翻訳され、同様に時計回りで東アジアを一巡したという。
音楽や絵画などその他の表象芸術と同じように、文学のテクストはつねに二重の判断基準ではかられている。一つが芸術領域のなかの物差しで、もう一つは鑑賞者あるいは読者の「期待の地平」である。東アジアにおいて、この「期待の地平」は消費文化の拡大を背景に形成されるものだ。
村上春樹ブームの火付け役となった『ノルウェイの森』は日本が高度経済成長を終え、消費社会が成熟した時期にベストセラーになった。台湾と香港で一歩遅れて熱狂的に迎えられたのも、急速な経済成長を経験した後であった。とりわけ、中国における村上春樹の受容は「高率の経済成長がほぼ半減する時期に発生」するという著者の「経済成長踊り場の法則」を裏付けている。『ノルウェイの森』の最初の大陸版は台湾より五カ月遅れて刊行されたが、当初は爆発的な人気があったわけではない。同作品がベストセラーとなり、本格的な村上春樹ブームが起きたのは約十年後で、中国でも経済成長が一段落した頃であった。
村上春樹は思想的なメッセージよりも、消費神話の背後にある都市生活の孤独と無力感を小市民の目線で描くことに長けている。そのような情緒は政治の季節の後に体験した疲弊と挫折に誘発されやすい。そのことを考えると、著者がいう「ポスト民主化運動の法則」は確かに一面において真実を突いているといえよう。
本書のもう一つの特色は、村上春樹の作品における中国という問題に踏み込んだことである、これまでほとんど気づかれず、あるいは意識的に迂回されてきた重要なテーマだが、著者は二つの角度から検討を行った、一つは魯迅から受けた影響で、もう一つは村上春樹の作品における日中戦争という歴史記憶の問題である。
高校時代に魯迅の小説を愛読していた村上春樹は、『阿Q正伝』について短篇「駄目になった王国」のなかで断片的に論じたことがある。著者は『風の歌を聴け』(講談社)と魯迅の『野草』の一節を比較し、両者のあいだの時空を超えた共感について探った。さらに、魯迅『藤野先生』と村上春樹の短篇「中国行きのスロウ・ボート」とのあいだの、半世紀を隔てた想像力の呼応を指摘した。近代初期とは違って、現代の作家たちは先行作品の継承と、オリジナリティの創出とのあいだの力学的な拮抗につねに細心の注意を払っている。影響関係の特定が難しく、決定的な証拠が見つかりにくいなかで、このような踏み込んだ論考は印象に残る。
歴史について直接的な言及が少ない作家について、戦争記憶の問題を論じるのは難しい。著者は村上春樹のインタビューを手がかりに、父親が語らなかった戦争体験がこの作家の癒しがたいトラウマになったと推定した。さらに『羊をめぐる冒険』(講談社)、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社)、『アフターダーク』(講談社)などの作品に着目し、歴史に対する意志と省察が一連の作品を通して語られていると説いている。
村上春樹の受け入れられ方は、十九世紀の欧米文学の受容とまったく違う、近代の読者たちにとって、シェイクスピアもモーパッサンもトルストイも海の彼方にそびえ立つ聖なる山のようだ。読者たちは崇敬の念を抱いて仰ぎ見ることができても、一歩も近づくことはできない。彼らにはたえず文化の他者ということを意識させられ、作家と読者とのあいだの永遠に縮まらない距離感に打ちのめされる。
ところが、村上春樹にはそのような威圧感はない。海外の読者にとって彼はあたかも身近な知人のようだ。彼ならきっと自分のたわいない独り言や不平を静かに聞いてくれるだろう、とそんなふうに感じている。だから、日本文学が警戒されていた韓国でも村上春樹がヒットし、反日デモが起きた頃も中国では村上春樹の作品が相変わらず人気だった。この作家は文学にとどまらず、東アジアの真の相互理解にも希望をもたらしたのではないか、本書を読んでそんな思いがした。
【この書評が収録されている書籍】
近代に入って今日にいたるまで、欧米や日本をはじめ、世界の数え切れないほどの作家が中国に紹介され、無数の作品が中国語に翻訳された。なぜ、ひとり村上春樹だけがこれほど多くの読者を獲得したのか。そもそも中国での爆発的な人気は、どのような過程をたどって形成されたか。誰もが興味を持つ問題だが、これまで断片的な言及があっても、全面的に検討されることはなかった。本書によって、中国語圏における村上春樹の読書史がはじめて明らかになった。香港や台湾さらに欧米での受容を視野に入れることで、村上春樹現象がなぜ起きたかが、よりわかりやすくなった。
東アジアに広く見られる村上春樹現象について、著者は「受容四大法則」という説を立てた、その一つが「時計回りの法則」で、一九八五年、中国語圏において村上春樹はまず台湾で初期の作品群が紹介され、まもなく香港でヒットし、さらに大陸でも翻訳されるようになった。『ノルウェイの森』(講談社)の場合も、まず一九八九年に台北で翻訳され、同様に時計回りで東アジアを一巡したという。
音楽や絵画などその他の表象芸術と同じように、文学のテクストはつねに二重の判断基準ではかられている。一つが芸術領域のなかの物差しで、もう一つは鑑賞者あるいは読者の「期待の地平」である。東アジアにおいて、この「期待の地平」は消費文化の拡大を背景に形成されるものだ。
村上春樹ブームの火付け役となった『ノルウェイの森』は日本が高度経済成長を終え、消費社会が成熟した時期にベストセラーになった。台湾と香港で一歩遅れて熱狂的に迎えられたのも、急速な経済成長を経験した後であった。とりわけ、中国における村上春樹の受容は「高率の経済成長がほぼ半減する時期に発生」するという著者の「経済成長踊り場の法則」を裏付けている。『ノルウェイの森』の最初の大陸版は台湾より五カ月遅れて刊行されたが、当初は爆発的な人気があったわけではない。同作品がベストセラーとなり、本格的な村上春樹ブームが起きたのは約十年後で、中国でも経済成長が一段落した頃であった。
村上春樹は思想的なメッセージよりも、消費神話の背後にある都市生活の孤独と無力感を小市民の目線で描くことに長けている。そのような情緒は政治の季節の後に体験した疲弊と挫折に誘発されやすい。そのことを考えると、著者がいう「ポスト民主化運動の法則」は確かに一面において真実を突いているといえよう。
本書のもう一つの特色は、村上春樹の作品における中国という問題に踏み込んだことである、これまでほとんど気づかれず、あるいは意識的に迂回されてきた重要なテーマだが、著者は二つの角度から検討を行った、一つは魯迅から受けた影響で、もう一つは村上春樹の作品における日中戦争という歴史記憶の問題である。
高校時代に魯迅の小説を愛読していた村上春樹は、『阿Q正伝』について短篇「駄目になった王国」のなかで断片的に論じたことがある。著者は『風の歌を聴け』(講談社)と魯迅の『野草』の一節を比較し、両者のあいだの時空を超えた共感について探った。さらに、魯迅『藤野先生』と村上春樹の短篇「中国行きのスロウ・ボート」とのあいだの、半世紀を隔てた想像力の呼応を指摘した。近代初期とは違って、現代の作家たちは先行作品の継承と、オリジナリティの創出とのあいだの力学的な拮抗につねに細心の注意を払っている。影響関係の特定が難しく、決定的な証拠が見つかりにくいなかで、このような踏み込んだ論考は印象に残る。
歴史について直接的な言及が少ない作家について、戦争記憶の問題を論じるのは難しい。著者は村上春樹のインタビューを手がかりに、父親が語らなかった戦争体験がこの作家の癒しがたいトラウマになったと推定した。さらに『羊をめぐる冒険』(講談社)、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社)、『アフターダーク』(講談社)などの作品に着目し、歴史に対する意志と省察が一連の作品を通して語られていると説いている。
村上春樹の受け入れられ方は、十九世紀の欧米文学の受容とまったく違う、近代の読者たちにとって、シェイクスピアもモーパッサンもトルストイも海の彼方にそびえ立つ聖なる山のようだ。読者たちは崇敬の念を抱いて仰ぎ見ることができても、一歩も近づくことはできない。彼らにはたえず文化の他者ということを意識させられ、作家と読者とのあいだの永遠に縮まらない距離感に打ちのめされる。
ところが、村上春樹にはそのような威圧感はない。海外の読者にとって彼はあたかも身近な知人のようだ。彼ならきっと自分のたわいない独り言や不平を静かに聞いてくれるだろう、とそんなふうに感じている。だから、日本文学が警戒されていた韓国でも村上春樹がヒットし、反日デモが起きた頃も中国では村上春樹の作品が相変わらず人気だった。この作家は文学にとどまらず、東アジアの真の相互理解にも希望をもたらしたのではないか、本書を読んでそんな思いがした。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする












































