書評
『楊貴妃になりたかった男たち <衣服の妖怪>の文化誌』(講談社)
何とも軽妙な書名だが、端的に言えば中国女装史とでもいうべき内容であろう。孔子や孟子のことばを頭に思い浮かべながら読むと、愉快でたまらない。服飾をめぐる禁忌と侵犯が、王権の消長を表徴する暗号と見なされたのも、中国的と言えるかもしれない。
中国語には「奇装異服」(奇異な服装)という言葉がある。かつて日常のなかで頻繁に用いられていたが、日本語にはぴったりの訳語はない。多くの中国人にとって、文化大革命の記憶は「奇装異服」の追放とともに始まる。紅衛兵たちがある日突然街にくり出して、「奇装異服」にハサミを入れる。奇異な服装とはいっても必ずしも奇抜なデザインとは限らない。チャイナドレスは言うまでもなく、背広もワンピースも切り裂かれる運命を免れなかった。そもそも「奇異な服装」の基準は恣意的なものだ、花柄のブラウスを着ているだけで襲われる人もいた。
紅衛兵運動は近代の出来事だが、「奇装異服」の追放は意外と文化記憶の問題とかかわりを持っているかもしれない。じっさい、異端の服装を身につけることは古来、「服妖」と呼ばれ、社会動乱の前兆として忌み嫌われていた。
「衣冠」という言葉は中国文化において重要な意味を持っている。たんに「服装と帽子」あるいは「正装」を指しているだけではない。身分や地位や教養を示し、統治の正統性や文明のあり方をも象徴している。明清の王朝交代時に見られるように、服装の変更が強制され、従わない人が処刑されることもあった。
服飾の基準については古くから史書の「輿服志」に詳細に記録されている。そうした史料にもとづき、「衣冠」の研究が多く行われてきた。しかし、「服妖」について、これまでほとんど注目されたことはない。近代合理主義の考え方に従えば、史書の「五行志」には眉唾ものが多く、「服妖」に関する記述もしょせん迷信に過ぎない。しかし、著者はそうした「胡散臭い」記述から、倒錯の世界の魅力を見いだした。女装という視点を導入した途端、過去におけるセクシュアリティの多様性が浮かび上がってきた。
近代以前は性科学という言葉も概念もなく、性転換も両性具有も陰陽思想とまったく相容れないものだった。大文字の歴史に埋もれがちだが、「服妖」をキーワードに読み解いていくと、異装の風俗史だけでなく、性同一障害の問題も炙(あぶ)り出された。
趣味としての女装は歴史が古い。『左伝』によると、陳の霊公は大臣らとともに首相の妻である夏姫と密通し、彼女の下着を身につけ、朝廷で公然とふざけ合っていたという。愛人の肌着を着るのが女装と言えるかどうはともかくとして、女物の服を身につけることに快感を覚える男が、紀元前六百年以上も前にすでにいたことはまちがいない。
女装の目的は多種多様にわたる。命が危険にさらされた男が身を守るためのものもあれば、女になりすまして他人の財布を狙う人もいた。男女の社交が禁止された時代に、女装は恋人に近付く手段にもなりえたし、性犯罪に使われることもあった。じっさい、男が女に変装し、花嫁修業の指導と偽って、良家の娘を姦淫する事件も起きている。纏足(てんそく)を偽装するための道具まで発明されているというから、開いた口がふさがらない。女の男装はしばしば美談として語られているのに、なぜか女装した男はつねに笑い者にされている。人間の心理は複雑だ。
それにしても、わが悠久なる女装史は可笑しくて恥ずかしい。
【この書評が収録されている書籍】
中国語には「奇装異服」(奇異な服装)という言葉がある。かつて日常のなかで頻繁に用いられていたが、日本語にはぴったりの訳語はない。多くの中国人にとって、文化大革命の記憶は「奇装異服」の追放とともに始まる。紅衛兵たちがある日突然街にくり出して、「奇装異服」にハサミを入れる。奇異な服装とはいっても必ずしも奇抜なデザインとは限らない。チャイナドレスは言うまでもなく、背広もワンピースも切り裂かれる運命を免れなかった。そもそも「奇異な服装」の基準は恣意的なものだ、花柄のブラウスを着ているだけで襲われる人もいた。
紅衛兵運動は近代の出来事だが、「奇装異服」の追放は意外と文化記憶の問題とかかわりを持っているかもしれない。じっさい、異端の服装を身につけることは古来、「服妖」と呼ばれ、社会動乱の前兆として忌み嫌われていた。
「衣冠」という言葉は中国文化において重要な意味を持っている。たんに「服装と帽子」あるいは「正装」を指しているだけではない。身分や地位や教養を示し、統治の正統性や文明のあり方をも象徴している。明清の王朝交代時に見られるように、服装の変更が強制され、従わない人が処刑されることもあった。
服飾の基準については古くから史書の「輿服志」に詳細に記録されている。そうした史料にもとづき、「衣冠」の研究が多く行われてきた。しかし、「服妖」について、これまでほとんど注目されたことはない。近代合理主義の考え方に従えば、史書の「五行志」には眉唾ものが多く、「服妖」に関する記述もしょせん迷信に過ぎない。しかし、著者はそうした「胡散臭い」記述から、倒錯の世界の魅力を見いだした。女装という視点を導入した途端、過去におけるセクシュアリティの多様性が浮かび上がってきた。
近代以前は性科学という言葉も概念もなく、性転換も両性具有も陰陽思想とまったく相容れないものだった。大文字の歴史に埋もれがちだが、「服妖」をキーワードに読み解いていくと、異装の風俗史だけでなく、性同一障害の問題も炙(あぶ)り出された。
趣味としての女装は歴史が古い。『左伝』によると、陳の霊公は大臣らとともに首相の妻である夏姫と密通し、彼女の下着を身につけ、朝廷で公然とふざけ合っていたという。愛人の肌着を着るのが女装と言えるかどうはともかくとして、女物の服を身につけることに快感を覚える男が、紀元前六百年以上も前にすでにいたことはまちがいない。
女装の目的は多種多様にわたる。命が危険にさらされた男が身を守るためのものもあれば、女になりすまして他人の財布を狙う人もいた。男女の社交が禁止された時代に、女装は恋人に近付く手段にもなりえたし、性犯罪に使われることもあった。じっさい、男が女に変装し、花嫁修業の指導と偽って、良家の娘を姦淫する事件も起きている。纏足(てんそく)を偽装するための道具まで発明されているというから、開いた口がふさがらない。女の男装はしばしば美談として語られているのに、なぜか女装した男はつねに笑い者にされている。人間の心理は複雑だ。
それにしても、わが悠久なる女装史は可笑しくて恥ずかしい。
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