書評
『みんな夢の中―マイ・ラスト・ソング〈2〉』(文藝春秋)
久世光彦『みんな夢の中』(文藝春秋)は、一昨年春に出版された『マイ・ラスト・ソング』の続編だが、前回よりさらに面白く、読みごたえのあるものになっている。
「憂国」というのとはちょっと違うのだが、この国の来し方行く末を想う気持が色濃く底に流れている。それは「祈り」と言ってもいいような深い想いである。〈生涯最後の刻に、あなたはどの歌を聴きたいか〉という単純と言えば単純なアイディアから生まれた本だけれど、その「祈り」にも似た想いが、この本を貴く大きなものにしている。あくまでも私的な言葉で書かれた、立派な日本人論、日本文化論になっている。
「東京の花売娘」「海ゆかば」「唐獅子牡丹」「空の神兵」「星影の小径」「故郷の空」……など著者愛着の数十曲。私は著者より一回りほど年下だが、それでも九割がたは知っていて、やっぱり何となく心惹かれていた歌ばかりだ。
特に私が興味深く読んだのは、「海ゆかば」と「空の神兵」についての章である。両方とも戦時下のプロパガンダの文脈で語られがちな歌なので、「いい歌じゃないの。私、好きだわ」と口外しにくい気持がちょっとあった。それを著者は、はっきりと「美しい」と言い切っている。
そのいっぽうで、著者は「異人娼婦の歌」という俗歌を紹介して、「それにしても《満鉄の金ボタン》や《早く精神決めなさい》というフレーズの、何と滑稽で鮮やかなことだろう」とも書いている(この歌、確か大島渚監督『日本春歌考』で吉田日出子が歌っていた)。耽美志向やロマン志向一本槍ではなく、著者はそういう具合に「おかしみ」のセンスも鋭敏だ。そこが私は好きだし、信頼できるところだと思っている。
ほとんど曲ごとに著者は泣いている。センチメンタルである。しかし、それは下世話なベタベタとしたものではない。澄み切った青空のように、晴朗なセンチメンタリズムである。
【この書評が収録されている書籍】
「憂国」というのとはちょっと違うのだが、この国の来し方行く末を想う気持が色濃く底に流れている。それは「祈り」と言ってもいいような深い想いである。〈生涯最後の刻に、あなたはどの歌を聴きたいか〉という単純と言えば単純なアイディアから生まれた本だけれど、その「祈り」にも似た想いが、この本を貴く大きなものにしている。あくまでも私的な言葉で書かれた、立派な日本人論、日本文化論になっている。
「東京の花売娘」「海ゆかば」「唐獅子牡丹」「空の神兵」「星影の小径」「故郷の空」……など著者愛着の数十曲。私は著者より一回りほど年下だが、それでも九割がたは知っていて、やっぱり何となく心惹かれていた歌ばかりだ。
特に私が興味深く読んだのは、「海ゆかば」と「空の神兵」についての章である。両方とも戦時下のプロパガンダの文脈で語られがちな歌なので、「いい歌じゃないの。私、好きだわ」と口外しにくい気持がちょっとあった。それを著者は、はっきりと「美しい」と言い切っている。
こんな美しい曲を否定できる人はいない。《あのころ》に辛い記憶を持っている人たちだって、半世紀という時間が経ったいまは、この曲の美しさに涙するのではなかろうか
『海ゆかば』は、わが国有数の名曲である。日本で生れ日本で育った者の魂から、春、草が萌え出るように、花がほころぶように湧き起こった歌である
私は『海ゆかば』を、壮大な鎮魂曲だと思っている――「海ゆかば」の章。
こんな大きくて美しい視界を持つ軍歌は他にない。美しすぎて戦争を忘れそうである
暗かった暗かったと言われる戦前から戦中にかけての時代にも、美しい珠のような歌がいくつもあった
歌いながら、見交わす目で微笑み合った歌だってちゃんとあったのだ。そんな歌を歌いながら、私たちはおなじ一つの気持ちの《国民》として手を結び合っていたような気がする。そうした意味の《国》を見失って、私たちは五十年の歳月を重ねてしまったー「空の神兵」の章。
そのいっぽうで、著者は「異人娼婦の歌」という俗歌を紹介して、「それにしても《満鉄の金ボタン》や《早く精神決めなさい》というフレーズの、何と滑稽で鮮やかなことだろう」とも書いている(この歌、確か大島渚監督『日本春歌考』で吉田日出子が歌っていた)。耽美志向やロマン志向一本槍ではなく、著者はそういう具合に「おかしみ」のセンスも鋭敏だ。そこが私は好きだし、信頼できるところだと思っている。
ほとんど曲ごとに著者は泣いている。センチメンタルである。しかし、それは下世話なベタベタとしたものではない。澄み切った青空のように、晴朗なセンチメンタリズムである。
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

星星峡 1998年2月
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