書評
『橋川文三とその浪曼』(河出書房新社)
共振する文章 近代日本の精神史を通覧
近来まれな批評の力作だ。雑誌『すばる』の連載が元だそうで原稿用紙一○○○枚ある。分厚い。格闘の相手は政治学者、橋川文三。戦後言論界で異彩を放った。
本書の文体は震えている。大事なひとの日記をたまたま盗み見たら意外な真実が記されていた。手がわなわな震え、心臓が乱れ、その文章が頭のなかを駆け巡る。みたいに、橋川文三の文章と著者の文章が共振し、異様な磁場を生んでいる。対象と距離が近過ぎ、批評の成立が危ぶまれるほどだ。
『日本浪曼派批判序説』(一九六○年)は橋川文三の出世作。「日本浪曼派」とは保田與重郎のことだ。著者は、橋川が保田と対決したそのさまをまず掘り下げる。
橋川は対馬の生まれ。《家族離散、不安定な仕事や貧困、病気療養などに長らく苦しんだ》。日本浪曼派とは《日本的ファシズムの成熟期に、ロマン主義と古典主義と民族主義を組み合わせつつ、当時の時代閉塞を打ち破ろうとした特異な文学運動》だ。《戦争前一時保田与重郎に・いかれた》と告白する橋川は、自身の内面の傷あとを暴くようにこの浪曼と対決する。
橋川によれば保田の思想の核は《ロマン的なイロニー》だ。《国語的混乱の傑作》とも言うべき文章で《敗戦と没落と絶滅をも待ち望む…異形のニヒリズム》をふりまき《日本の大陸侵略を…「神武東征」に…重ね合わせ…「国民は…いさぎよい歴史的忠勇の諦観を以て戦場に死んでゐる」》などと書いた。対する橋川は、《敗戦体験を歴史意識として超越化することに挫折し》、結局は保田を超えられなかった、と著者はみる。
この保田與重郎に続けて、本書は丸山眞男、柳田国男、三島由紀夫と橋川との格闘を描く。実はあと、竹内好、西郷隆盛、北一輝も論じる予定だったが、連載が膨らみ過ぎた。続編『橋川文三とその革命(仮)』が予告されている。楽しみに待ちたいと思う。
丸山眞男とは、編集者として知り合った。ゼミに参加を許され、個人的にも世話になった。師弟だが、微妙な関係だ。橋川は『日本浪曼派批判序説』を丸山が《ひとことも批評》しなかったのが《嬉しかった》と言う。丸山は橋川の「結婚する前の…女性遍歴」をあげつらい、マルクスも政治学もわからない癖にと「しょっちゅうからかった」。スランプの丸山、活躍の場を増す橋川。丸山は橋川の才能を警戒したのではないか。
柳田国男は、橋川の《畏怖と尊敬》の対象だ。柳田の家は貧しかった。柳田はロマン的な新体詩を書く。描かれた恋人は「隠し子」をなし、一八歳で病死した。農政学者、官僚、民俗学者の道は《どこか敗北に次ぐ敗北という印象を受ける》。橋川は柳田の魂を深く摑んだ、と本書は読み解く。
三島由紀夫と橋川の交流も霊的だ。失敗作『鏡子の家』の真意を批評してくれたと喜んだ三島が解説文を依頼。三島は橋川から日本浪曼派を学び、橋川は自決へ向かう三島の不穏を察知した。自分が三島に影響したかもと恐れた。
杉田俊介氏はよく勉強して書く人だ。七五年生まれ。著書に『フリーターにとって「自由」とは何か』『宮崎駿論』『長渕剛論』などがある。そんな杉田氏が橋川文三を相手に渾身の勝負をかけた。近代日本の精神史を通覧するかのようなスケールだ。パワフルな逸材の、記念碑的な作品である。
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