天皇が日本の敗戦をラジオで国民に伝えた玉音放送。だが同じ放送でも、人それぞれ感じかたや考えたことは異なる。そのとき何歳だったのか、どこでどのようにして聴いたのか。この本にはよく名の知られた作家や俳優、漫画家ら文化人135人のあの日が集められている。
<そのとたん、ドッと力がぬけて、三日間くらい寝込んでしまったのを覚えております>と15年後に回想する田中絹代のような人がいる一方で、三島由紀夫は<日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった。それよりも数ヶ月後、妹が急死した事件のほうが、よほど痛恨事である>と10年後に雑誌で書いた。放送時、田中35歳、三島20歳。
誰もが放送と同時に敗戦を知ったわけではない。大佛次郎は新聞社経由で前日に知って関連する原稿を書いていたし、海軍中尉として中国・漢口にいた阿川弘之は5日前に日本の降伏を知ったという。米軍の無線電話を傍受していたのだ。しかし、8月14日から15日未明にかけても空襲は続き、多くの人が死んだ。なんて不条理なのだろう。