書評
『口訳 太平記 ラブ&ピース』(講談社)
戦争と平和めぐるアイロニー
口訳(こうやく)、すなわち口語に訳した『太平記』である。『太平記』は鎌倉時代の終わりから南北朝の時代を描く軍記物で、室町時代に成立した。さまざまな校註(こうちゅう)本や現代語訳、題材にした小説、マンガが出ている。全40巻からなる大長編だが、本書はその第1巻から第3巻まで、物語でいうと後醍醐(ごだいご)天皇の即位から楠木正成(くすのきまさしげ)が立てこもる赤坂城の落城までを描く。町田康はオリジナルの『太平記』を現代語に置き換えるのではなく、彼の言葉で『太平記』を作り直した。具体例を紹介しよう。後醍醐天皇による倒幕工作が露見して、後醍醐方の土岐と多治見が六波羅(鎌倉幕府側)に急襲されるシーン。町田康は次のように書く。
驚いたのは食らい酔って気持ちよく眠っていた多治見次郎で、
「なんや、なんや、どないしたんや。誰ぞ、酔うて喧嘩(けんか)しとんのんかいな。うわっ、ちゃうがな、カチコミやがな。どないしょ、どないしょ」
と慌てに慌て、下帯ひとつで爪を嚙(か)んで部屋をウロウロするばかりで的確な判断ができないでいた。
笑える。映画『仁義なき戦い』の金子信雄を思い出す。源平合戦も南北朝動乱も、ヤクザの勢力争いとよく似ている。
ちなみに兵藤裕己校注の岩波文庫『太平記』では、<多治見は、終夜(よもすがら)の酒に飲み酔(え)ひて、前後も知らず臥したりけるが、時の声に驚いて、「これは何事ぞ」と周章(あわ)て騒ぐ>と書かれている。
なお、吉川英治の『私本太平記』の多治見は、ひるまず勇猛果敢に戦い、矢が尽きて腹を切る。ぼくには金子信雄のような多治見のほうがしっくりくる。
あるいは本書における坂本の合戦の場面。佐々木三郎判官が武士たちを鼓舞し、比叡山の僧侶たちを殺せと命じる。
「突撃してあの法師を殺せ」
「畏(かしこ)まりました。皆さん、聞きましたか。突撃しましょう。そしてあの法師を殺しましょう。家族のために! 未来の平和のために!」
「おおおおおおおっ」
「ドンドンチャッチャッ、ドンドンチャッチャッ、ドンドンチャッチャッ、ドンドンチャッチャッ」
「おーるうぃあーせいいんっ、いずぎぶぴいすあすちゃん」
そんな痴わ言、鬨(とき)の声を上げて、目賀田、楢崎、木村、馬淵、いずれも地元の武士を先頭に、三百余騎、勇みだって攻めかかる。
こんなところにジョン・レノンとオノ・ヨーコが出てくるとは!
ふざけているのか? いや、そうではない。ここには戦争と平和をめぐるアイロニーがこめられている。あらゆる戦争は平和のためを口実に行われる。タイトルにある「ラブ&ピース」も、後醍醐天皇の処遇をめぐって強硬派の長崎高資(たかすけ)が二階堂道蘊(どううん)ら宥和(ゆうわ)派を論破するとき、「頭ン中、ラブ&ピースで満ちてるんですか。死んでくれ、って感じですよね」と罵倒の文脈で使われる。現代において右派がリベラルに投げつける「頭の中がお花畑」と同じ。
ただし、この節の末で<後々、考えれば鎌倉幕府崩壊、北条氏の滅亡はこの時に決まったと言え、そんな決定しなければよかったのにと思うがマアしゃあない>と書かれていることに要注意だ。ラブ&ピースを侮る者はやがて滅びるだろう。
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