前書き
『アメリカはなぜイスラエルを支援するのか―揺れ動くまなざしの歴史―』(名古屋大学出版会)
アメリカはなぜ、どのようにイスラエルを支援してきたのか。米国とイスラエルの「特別な関係」の背景を包括的に描き出した新刊『アメリカはなぜイスラエルを支援するのか』から、序章の内容を再編集し、公開いたします。
では、なぜアメリカはイスラエルを支持し続けるのだろうか。
既存の研究の多くは、アメリカによるイスラエル支持を、アメリカの国際戦略的観点と、ユダヤ系コミュニティおよびイスラエル・ロビーという国内的観点から説明してきた。これらが重要であることは論を俟たないが、次の三点から十分でない。
(1)扱う時代を比較的最近の時期に限定している
これまでの議論は、歴史的な背景に言及する場合でも、その部分は簡単な整理・説明にとどめ、現代の状況を中心に論を構成することが多い。複雑な反応と感情を喚起する背景を正確に把握するためには、より長期的な視野と歴史的な展開をふまえた議論が必要である。
(2)政治・外交政策の決定過程を中心に議論している
アメリカ社会に親イスラエル的な論調が広く存在することは、ロビー活動やアメリカの対外戦略という観点からのみ説明できるものではない。ワシントンの政治家や外交官、ロビイストなどに限定するのではなく、より広く社会・文化的な事象にも目を向ける必要がある。
(3)イスラエルに批判的な勢力の存在に対して関心が低かった
実際のところ、アメリカ政府によるシオニズムの大義やイスラエルの政策への継続的な支援に対してはさまざまな疑義・反発が示されており、両国関係が危機に瀕し、良好だったイスラエル・イメージが損なわれる場面も過去たびたびあった。そのような状態を修復するために、両国の強固な関係を当然視する、あるいは自然化することを求める力学が働き、その力学こそが両国の親密な関係を実体化させてきたのである。こうしたダイナミズムを正確に把握するためには、反主流的な思想と実践にも目を向ける必要がある。
以上をふまえたうえで、次のような射程を設定する。
・長期的な時間軸を設定する
本書は、イスラエル建国以後の時期から現在に至るまでの時代を中心としつつも、建国以前の時期にまでさかのぼり、アメリカ人がシオニズムの思想と実践、およびイスラエルに対して抱いてきた認識を考察する。
このアプローチは、アメリカとイスラエルの強固な関係の形成を、特定の時代や人物に帰する方法と一線を画す。アメリカがイスラエルを支援する理由は複数存在するし、時代ごとに変化もする。だが、変化はするとしても、各時代に特徴的なイスラエル認識が、時代の移行とともに失われるわけではない。むしろ、古い認識の上に新しい認識が積み上がっていくことで、アメリカのイスラエルに対する見解の総体ができあがっている。つまり、アメリカでは、イスラエルに対するまなざしが長期にわたって堆積してきたのである。
・社会的・文化的な領域に注目する
本書の関心の中心は、アメリカのイスラエル支持という現実レベルの政治的決定の背後にある価値体系にある。その価値体系がイスラエルやパレスチナを何であるとみなし、どのような意味を付与してきたのかを考察する。そのためには、大文字の政治外交レベルの事象や、狭義の政治主体だけに注目するのでは十分でない。より多くの市井の人々が、この価値体系の形成に参画してきたからだ。そこにはユダヤ系アメリカ人やアラブ系アメリカ人はもちろんのこと、主要メディア、ハリウッドの映画人、広告・雑誌、各種の芸術家、ホロコースト・サバイバー、新保守主義やキリスト教福音派勢力、ブラック・ムスリム、フェミニスト、LGBT活動家、新自由主義者など……諸アクターによるイスラエルの言説的構築が、現実の政治を少なからず動かしてきた。
どのような思想や実践が、数々の異論を乗り越えて、アメリカによるイスラエル支援を自明なものとしてきたのか、その変化を追っていく。
アメリカとイスラエルの「特別な関係」は、両国関係がそうあるべきだと考えた人々が、時間をかけてつくりあげた概念である。それは必然でも自動的なものでもない。ある関係性を自然なものとみなす認識が積み重なった結果、他の人々の目にもその関係性があたかも自然であるかのように映るようになっていったのである。その過程には選択がある。何かを記憶し、何かを記憶しない。何かを語り、何かを語らない。そうした選択の結果、ある特定の記憶や言説が特権的な地位を得る。その過程では、「特別な関係」にあてはまらない事象を忘れ去ることも重要な一部となる。何かを特権的に扱い、何かを忘却することで、「特別な関係」はできあがるのである。
[書き手]佐藤雅哉(愛知県立大学外国語学部准教授)
「特別な関係」を問いなおす
イスラエル建国以来、アメリカ合衆国はこの国に対して多大な政治的・経済的・軍事的支援を提供してきた。1948年5月14日にイスラエルが独立を宣言したとき、その独立を世界で最初に承認したのはハリー・トルーマン米大統領で、独立宣言からわずか11分後のことだった。1973年10月、アラブ周辺諸国とイスラエルの間で戦争が生じた際には、アメリカが大規模な軍事援助を提供することでイスラエルの危機を救った。1975年以降、イスラエルはアメリカにとって最大の対外援助提供先となっており、イスラエルはその地位を現在に至るまで堅持している。2018年にはドナルド・トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定し、波紋を呼んだ。また、国連総会や安全保障理事会(安保理)の場において、アメリカがほとんど単独でイスラエルの立場を支持したのは一度や二度ではない。イスラエルに対する好意的な姿勢は超党派的なものであり、民主党の大統領も共和党の大統領も、その時々によって程度の差こそあれ、基本的には常にイスラエルを政治的に擁護し、資金を供給し、最新鋭の兵器を提供してきた。では、なぜアメリカはイスラエルを支持し続けるのだろうか。
これまではどう説明されてきたか
既存の研究の多くは、アメリカによるイスラエル支持を、アメリカの国際戦略的観点と、ユダヤ系コミュニティおよびイスラエル・ロビーという国内的観点から説明してきた。これらが重要であることは論を俟たないが、次の三点から十分でない。(1)扱う時代を比較的最近の時期に限定している
これまでの議論は、歴史的な背景に言及する場合でも、その部分は簡単な整理・説明にとどめ、現代の状況を中心に論を構成することが多い。複雑な反応と感情を喚起する背景を正確に把握するためには、より長期的な視野と歴史的な展開をふまえた議論が必要である。
(2)政治・外交政策の決定過程を中心に議論している
アメリカ社会に親イスラエル的な論調が広く存在することは、ロビー活動やアメリカの対外戦略という観点からのみ説明できるものではない。ワシントンの政治家や外交官、ロビイストなどに限定するのではなく、より広く社会・文化的な事象にも目を向ける必要がある。
(3)イスラエルに批判的な勢力の存在に対して関心が低かった
実際のところ、アメリカ政府によるシオニズムの大義やイスラエルの政策への継続的な支援に対してはさまざまな疑義・反発が示されており、両国関係が危機に瀕し、良好だったイスラエル・イメージが損なわれる場面も過去たびたびあった。そのような状態を修復するために、両国の強固な関係を当然視する、あるいは自然化することを求める力学が働き、その力学こそが両国の親密な関係を実体化させてきたのである。こうしたダイナミズムを正確に把握するためには、反主流的な思想と実践にも目を向ける必要がある。
どのようにアプローチするか
以上をふまえたうえで、次のような射程を設定する。・長期的な時間軸を設定する
本書は、イスラエル建国以後の時期から現在に至るまでの時代を中心としつつも、建国以前の時期にまでさかのぼり、アメリカ人がシオニズムの思想と実践、およびイスラエルに対して抱いてきた認識を考察する。
このアプローチは、アメリカとイスラエルの強固な関係の形成を、特定の時代や人物に帰する方法と一線を画す。アメリカがイスラエルを支援する理由は複数存在するし、時代ごとに変化もする。だが、変化はするとしても、各時代に特徴的なイスラエル認識が、時代の移行とともに失われるわけではない。むしろ、古い認識の上に新しい認識が積み上がっていくことで、アメリカのイスラエルに対する見解の総体ができあがっている。つまり、アメリカでは、イスラエルに対するまなざしが長期にわたって堆積してきたのである。
・社会的・文化的な領域に注目する
本書の関心の中心は、アメリカのイスラエル支持という現実レベルの政治的決定の背後にある価値体系にある。その価値体系がイスラエルやパレスチナを何であるとみなし、どのような意味を付与してきたのかを考察する。そのためには、大文字の政治外交レベルの事象や、狭義の政治主体だけに注目するのでは十分でない。より多くの市井の人々が、この価値体系の形成に参画してきたからだ。そこにはユダヤ系アメリカ人やアラブ系アメリカ人はもちろんのこと、主要メディア、ハリウッドの映画人、広告・雑誌、各種の芸術家、ホロコースト・サバイバー、新保守主義やキリスト教福音派勢力、ブラック・ムスリム、フェミニスト、LGBT活動家、新自由主義者など……諸アクターによるイスラエルの言説的構築が、現実の政治を少なからず動かしてきた。
どのような思想や実践が、数々の異論を乗り越えて、アメリカによるイスラエル支援を自明なものとしてきたのか、その変化を追っていく。
「特別な関係」をつくりあげるものとは
アメリカとイスラエルの「特別な関係」は、両国関係がそうあるべきだと考えた人々が、時間をかけてつくりあげた概念である。それは必然でも自動的なものでもない。ある関係性を自然なものとみなす認識が積み重なった結果、他の人々の目にもその関係性があたかも自然であるかのように映るようになっていったのである。その過程には選択がある。何かを記憶し、何かを記憶しない。何かを語り、何かを語らない。そうした選択の結果、ある特定の記憶や言説が特権的な地位を得る。その過程では、「特別な関係」にあてはまらない事象を忘れ去ることも重要な一部となる。何かを特権的に扱い、何かを忘却することで、「特別な関係」はできあがるのである。[書き手]佐藤雅哉(愛知県立大学外国語学部准教授)
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